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*ニッキン縮刷版1992年 日本金融通信社
 
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2015年7月17日 (金) 10:03時点における最新版

澤井修一(さわい しゅういち、1911年 - 2003年)は、日本の銀行家山形しあわせ銀行(現・きらやか銀行)元頭取。藍綬褒章-(1974年) 

略歴[編集]

  • 1933年-山形師範学校(現・山形大学地域教育文化学部)卒業
  • 1950年
    • 1月 松ヶ岡ガラス工業社長就任。 
    • 10月 金升酒造取締役就任。 
    • 12月 両羽協同製糸(現 松岡株式会社)取締役就任。
  • 1951年-出羽木材社長就任。
  • 1952年-山形相互銀行入行、取締役就任
  • 1953年-社長就任
  • 1989年-普銀転換、頭取就任
  • 1991年-会長就任
  • 1998年-相談役就任
  • 2003年
    • 12月 老衰により逝去。享年93

人物[編集]

庄内藩松ヶ岡開墾に従事した、藩士の家系、沢井辰三郎の長男として山形県鶴岡市に生まれる。

教職に奉職後、実業界入りし、松ヶ岡ガラス工業社長等を経て、1952年山形相互銀行に入行。翌年より、社長、頭取を39年あまり務め、80歳を迎えたのを期に、若返りをはかるため、1991年、頭取の職を四男である誠介に委ね自身は、会長に就任した。 トップ在任時は、1960年の、資金量5000億円達成。荘内銀行エスワイコンピューターサービス(SYC)を共同で設立し、1975年より、第一次オンラインシステムの実現等の施策を講じた。 

長年の地域経済の振興発展に寄与、 教育にも情熱を注いだことから、逝去後の2004年鶴岡市より市政功労の表彰を受けた。また、安岡正篤に傾注し生涯教育を実践したほか、荘内南洲会の設立にも尽力した。

子に澤井誠介きらやか銀行相談役がいる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • ニッキン縮刷版1992年 日本金融通信社

出典[編集]