サンガウ・スカダウ分県

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サンガウ・スカダウ分県(サンガウ・スカダウぶんけん、インドネシア語Kabupaten Sanggau・Sekadau)は、太平洋戦争中、日本海軍による占領行政の時代西カリマンタン(旧蘭領ボルネオ西部)地方に設置された自治領分県[1][2]

カプアス河を約400Km遡った上流にあたる地方[3]。県監理官の事務所はカプアス河沿いのサンガウの町にあった[3]

人口は少ないが面積は広く、住民の多くはカプアス河とその支流の川沿いに住んでいた[3]。住民の多くはマレー人華人で、山間部にダヤク人が住んでいた[3]

カプアス河とその支流の沿岸にはゴム園が多く、ゴムの原液を生産していたほか、椰子油を原料にした石けんも製造されていて、原木を筏に組んで下流に運んでいた。砂金ダイヤモンドの採取所もあり、原皮工場もあった。[3]

テンカワンの原木が特産品で、カプアス河畔の水上家屋はこの木を浮き土台に使用していた[3]

付録

脚注

参考文献

  • 赤道会 (1976) ポンチアナク赤道会『続赤道標』JPNO 73015036
  • 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073