ブラックエンペラー

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ブラックエンペラー」は、1960年代末〜1992年に存在した日本の暴走族。英表記は「BLACK EMPERORBLACK卍EMPEROR)」、漢字表記は「武羅悪区江無屁羅悪武羅悪区卍江無屁羅悪)」または「黒帝會」「黒皇帝」など。「卍」をシンボルマークとしており、ステッカーや単車や旗などに描かれている。

概要

東京都国立市の少年を中心として、オートバイ好きの不良少年が集まって結成されたのが始まりとされている。1970年代末にはメンバー数が2,000人を超える大規模な暴走族であったが、その後衰退し、1992年、25代目総長の時期をもって解散。以降は各支部ごとの小規模な活動となる。


1977年11月にはメンバーのうち約500名が指定団体とされ取り締まりが強化され、23名が凶器準備集合、暴力行為の容疑で検挙された。1978年8月26日夜から翌朝にかけて世田谷区で58名が道路交通法および道路運送車両法違反の容疑で検挙された。1979年5月27日未明には杉並区で公務執行妨害および道路交通法に関わる事件を起こし後に43名が摘発されている。後に暴走族の連合体「関東連合」に加盟することとなる。

1976年には、ブラックエンペラーを題材としたドキュメンタリー映画『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』が公開されている。

そのチームの精悍さ、規律、知名度から芸能界でデビューした者も多い。暴走族初の公式サイトを立ち上げたりVシネマを制作したり、その愚行はいまでも消えていない。

推移と動向

1989年(平成元年)以降は人数が激減した。杉並・永福町の1978年(昭和53年)生まれ世代の人間達が22代目ブラックエンペラーを復活させてからは喧嘩のスタイルに変化が現れ、それ以前の抗争では素手の喧嘩(スデゴロ)にこだわったり凶器と言っても木刀までだったのが、金属バットや包丁といった凶器を使うことも辞さなくなった。そして戦略的にもゲリラ戦的なものに移行していった。即ち喧嘩に際し対立するグループに所属する者を狙う時はその行動パターンを周到に調べ、一人または少人数で居るところを拉致し色々玩具にして悲惨な目に会わせるといった、相手に恐怖感を植えつける戦略を取った。

1998年には昭和53年生まれの代のメンバーが引退後、『スーパーティーンズ写真集』と銘打った素人の若者を題材にした写真集『バッヂレス~俺たちには勲章なんかいらない~』に登場した。永福町ブラックエンペラー22代目総長見立真一は写っていない。

歴代総長(歴代公認)

  • 創始者 谷田部 / 泉輝雄総長
  • 二代目 瓜田吉寿(遠藤吉寿)総長
  • 三代目 本間優二総長
  • 四代目 阿部総長
  • 五代目 イカンガー岩崎隆史総長
  • 六代目 蛯澤賢治総長
  • 七代目 宇梶剛士総長

かつて所属していた有名人

  • 本間優二 (元俳優、ブラックエンペラー3代目総長)
  • 宇梶剛士 (俳優、ブラックエンペラー7代目総長)
  • 松嶋クロス (AV監督、永福町ブラックエンペラー副総長)
  • 金崎浩之 (弁護士、ブラックエンペラー幹部)
  • 石元太一 (俳優、千歳台ブラックエンペラー総長)

八王子スペクターOB ヒロミ談

宇梶君は真正面から殴りかかってくる相手に対しては優しかった。
ボコボコに返り討ちにして、相手が土下座すれば許してたが、背後から襲ってきたり、武器を持ったり闇討ちしてくる奴は容赦無く半殺し以上にしてた。

闇討ちしてきたり、凶器持って背後から奇襲したり自分の命狙って来る相手に対しては鬼だったよ。
アバラとか鼻とか前歯とかベキベキに折って、ガムテープで簀巻きにして湖に放り込んで泳がせたり、単車の熱いエンジンに顔面押し付けて焼き付けたり 半殺しにした後で橋の上から湖に投げ捨てたりしてた。

宇梶が教習所から帰ろうと単車に跨った時、何も知らない地元のツッパリが運転の下手さをからかい、唾を吐きつけた。
宇梶は無言でバイクを降りると、その場にいた全員をボッコボコにして正座させ、更にそいつらの上の人間の所まで案内させた。そしてその人も〆て更にそいつらの単車を全部没収した上、毎日教習所まで送迎させた。後日、もう2度と楯突かないからと泣きながら土下座した相手に宇梶は単車を返してやった。

エンペラーとかスペクターとかの頭が普通に居る高校で宇梶さんがかなり怖がられてた存在だったのは確か。本当に怖かった。

ブラックエンペラーの登場する作品

参考文献

関連項目

外部リンク