冨士大石寺顕正会

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冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)は、埼玉県さいたま市大宮区寿能町に本部を置く日蓮系新興宗教団体。日蓮正宗から正本堂建立時の国立戒壇の教義解釈が原因で破門された妙信講が母体。宗教法人法に基づく届出名は宗教法人顕正会。現在の代表役員は浅井昭衛。毎月5のつく日に、『顕正新聞』という機関紙を発行。日蓮正宗の信徒団体であったが、正本堂建立時の国立戒壇の教義解釈が原因で破門された。

動向

折伏と称して勧誘活動が行われている。

  • 友人や初対面の人から電話番号やメールアドレスを聞き出し、しつこく「会おう」、「大事な話がある」などと用件を曖昧にして飲食店などに呼び出し、勧誘するパターンが多い。共通していることは、最初は顕正会の勧誘であることは口にしない(宗教団体の勧誘かと問いただしても否定する)。断ると返信が遅いことがある。これは、送られた内容を組織の上役に見せ、返信する内容を相談しているからである。
  • 勧誘する際、待ち合わせ場所に仲間の信者が居たり、後から同席することがある。
  • 同人を装った悪質な勧誘もある。例えば、池袋アニメイトで単独行動している大人しそうな人を勧誘したり、前川原貴志などによる撮り鉄狙いの勧誘がある。
  • これらの動向に応ずる形で、公安調査庁が、「2004年の秋に信者総数が100万人になったと主張する宗教団体」や「開祖に背く日本は必ず亡ぶと言う書籍を各界関係者に配布した団体」という表現で動向を監視していることをプレスリリースで公開した。(特異集団)また、近年では、内部での上下関係が厳格で折伏の容易な警察自衛隊関係者の中にも顕正会員が増加している。
  • 機関紙「顕正新聞」には「法戦」と称される期間(概ね一ヶ月~四ヶ月単位、年数回)毎に、折伏成果(入会会員数)が記載されている。創価学会員や他宗教の熱心な信者だった人物を引き抜くことに成功した場合、その成果も大々的に誇示される。
  • 伝統的に女子部が活動の主体となっているため、内部での力関係の是正を目的に高校生、大学生等若い男子会員数の増加を目論んだ活動が、首都圏の多くの高等学校、大学等で波紋を呼んでいる。
  • 批判側の活動にもいくつか問題や欠陥があり、創価学会や日蓮正宗関係者が運営するHPでは「この団体を信じていると地獄に落ちる」や、意図的に団体名称に当て字や比喩表現を行なうといった記述[1]、運営母体関係者が創価学会員主体の顕正会被害者の会が立ち上がるなど

教義

  • 日蓮仏法の国教化、国立戒壇建立、他宗廃絶、天皇統治を目指している。
  • 大石寺にある本門戒壇の大御本尊を崇拝し、日蓮を「日蓮大聖人」と称している。
  • 「日蓮大聖人御書」について、当時と現代との時代や社会の仕組み等の違いを勘案した解釈をすることを決して許さず、日蓮仏法の原典にどこまでも忠実であろうとする。いわば、原理主義である。
  • 東日本大震災をはじめとする震災は日蓮に背いた罰であるとしている。
  • 会員は、創価学会や日蓮正宗等に見られるような入会と同時に本尊授与をされることはなく、よって各会員は朝夕の勤行に於いて、自宅より遠く戒壇の大御本尊を直接拝み参らせる遥拝勤行に徹しているのも本会の大きな特徴である。(顕正会の会館や、信者が拠点として所有する物件には、破門前に授与されていた本尊が安置されている)
  • 戦争勃発への危機感が頻繁に説かれ、これを防ぐには広宣流布以外には無いとして信者を勧誘に駆り立てている。会長・浅井は説法のたびに、中国脅威論や北朝鮮脅威論を唱えている(かつてはソ連脅威論だった)。
  • 「死んでもすぐに魂は去らない」として、臓器提供には反対している。

教義以外の思想

歴史

第二次世界大戦下の1942年(顕正新聞では1941年とする記載もみられ、一貫性をみない)、日蓮正宗妙光寺(東京都品川区)の総代だった浅井甚兵衛が初代講頭となって、妙光寺所属の法華講の一講中として結成した東京妙信講が前身。

戦後の東京妙信講の存在を証明するものは何もないが、浅井親子らは妙光寺から豊島教会(現・妙国寺板橋区)へと所属変えを行い、その後に法道会(現・法道院。東京都豊島区池袋)へと所属を変えたが、法道会法華講と合併するため、発展的に解散。 その後、法道会から離脱(日蓮正宗では寺院を離脱することは日蓮正宗信徒の資格を失うことを意味する)し、独立を企てて妙信講を組織する(顕正新聞社刊「顕正会の歴史と使命」参照)が、日蓮正宗第六十五世法主日淳師の配慮によって妙縁寺(東京都墨田区吾妻橋)を所属寺院として妙信講は認証されたが、やがて創価学会が起こした言論出版妨害事件折伏大行進への社会的な批判による広宣流布についての教義解釈の変更と、創価学会が中心となって寄進・建立した正本堂の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・創価学会と激しく対立するようになる。

  • 1974年8月12日に日蓮正宗より講中解散処分を受けた。この件について顕正会は、「非国立の戒壇を作るという、日蓮正宗と創価学会の教義逸脱行為を諌めただけなのに、仏法者にとっては死罪にも匹敵するとされる破門・講中解散処分という不当弾圧を受けた。」等と主張している。なお、10月4日には、山崎正友を主体とした創価学会関係者による工作により暴発する形で創価学会本部に襲撃(顕正会の言い分ではあるがこの件は抗議活動を捏造されたとしている。)、11月4日、浅井甚兵衛講頭、浅井昭衛理事長(いずれも当時の役職名)らの旧・妙信講幹部は、日蓮正宗の信徒除名処分を受けた。
  • 1975年、「宗教法人・顕正寺 顕正新聞社」の成立に伴い、妙信講はその信徒団体として再出発し、第2代講頭に浅井昭衛が就任。
  • 1977年、総会を開き、団体名を妙信講から顕正会にする事を決定する。
  • 1997年 第1回目 一国諫暁
  • 2003年11月6日 顕正会総会員数が“公称”1000000人に達する。此れをもって2度目の一国諫暁の準備が本格的に始まる。
  • 2004年 第2回目 一国諫暁開始 4月28日、「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」という本を会長である浅井昭衛名義で発行。5月16日、全国の高校生活動家3万人を国立横浜国際会議場に結集して初の「全国高校生大会」を開催。会場に入りきれなくなる者が多数出るほどの高校生活動家が参集し、週刊誌など一部マスコミからは社会問題として報道された。浅井会長は「創価学会のデマ・中傷の煽動に乗った高校の理不尽な迫害・デマ・中傷のなか年若き高校生が毅然とけなげに信心を貫く姿を見るとき私は胸に熱きものが込み上げてくる。迫害は学会の仕業。」と演説をした。
  • 2005年 新潟県民10000人を謳い文句に朱鷺メッセにおいて「新潟大会」を行った。9月4日、男子部内から選抜された活動家13000人を横浜アリーナに結集して「男子部幹部大会」が行われた。
  • 2006年5月14日 関西在住の活動家10000人を結集して「関西大会」を行なった。沖縄県在住の信者3000人を結集して「沖縄大会」を行なった。浅井会長は、中国の軍事力増強と覇権主義の脅威を解説し、「隣国の怨敵、かくの如き念を興さん。四兵を具して彼の国土を壊るべし。早く日蓮大聖人の仏法を根底にした新しい日本を築かなければならない。さもなければ取り返しのつかぬことになる」と発言。9月4日、男子部において幹部の地位にある信者5千人を大宮ソニックシティに 結集して「男子部臨時幹部会」が行われた。
  • 2007年1月11日 強引な勧誘をしたとして、神奈川県警察と厚木警察署が顕正会本部を家宅捜索した。顕正会は会員に対する逮捕について、不当逮捕であると主張。また、顕正会側の発言や公式発表をマスコミが一切報道していないこと、意図的に自称している名称の『冨士大石寺顕正会』の『冨士大石寺』を省いて報道したことを「池田大作の指揮による」(→報道におけるタブー#鶴タブー)と主張している(宗教法人法に基づく名称は『宗教法人顕正会』)。8月26日、長野県のエムウェーブに活動家の中から選抜した代表者30000人を結集して、「顕正会発足50周年記念幹部大会」が行われた。
  • 2009年1月9日 脱会しようとした男性にけがを負わせたとして、新潟県警察警備第一課などが傷害の疑いで、会員の同県長岡市の専門学校生の少年を逮捕し、新潟県内の2施設を家宅捜索した。新潟県警によると、顕正会の勧誘や脱会に関するトラブルの相談が2008年だけで約200件あったという。8月23日 長野県のエムウェーブにて、「富士大石寺 顕正会 男子部大会」が行われた。

主要役員、年間行事等

  • 主要役員
    • 会長 浅井昭衛(故/浅井甚兵衛の長男)
    • 主任理事 浅井克衛(会長の長男)
    • 男子部長 浅井城衛(会長の次男)
    • 総合女子部長 加藤礼子
    • 壮年部長 大野耕太郎
    • 婦人部長 湯浅悦子
    • 顕正新聞発行人 小峰勝彦
  • 公称会員
    • 約118万人。
  • 年間行事
    • 1月教学試験
    • 5月顕正新聞推進
    • 10月御大会式(読み:おたいえしき)10月13日。日蓮大聖人の入滅日
    • 12月広布御供養(金額:下限1万~上限8万)参加は自由意志。

インターネット上の動向

会側からの反論は公式HPのみであるが、批判サイト側に問題のある場合が多く、創価学会や日蓮正宗関係者が運営するウェブサイトでは脱会を希望する信者や身内の信者をやめさせたい人物などへのアドバイスに見せかけた勧誘が行われることが多いほか、顕正会被害者の会を名乗るウェブサイトでは開設当初、外部へのリンクは創価学会関係者のウェブサイトのみ、脱会者や親族に信者がいると自称する人物の手記は他の創価学会信者が運営するウェブサイトで聖教新聞から転載したとして掲載されていた記事を相談者からの手記として公開する民事不介入が原則である各地の警察署の生活安全課と連携して問題の解決に当たると言った創価コネを前提とした問題解決手法を提示する等、他のセクトグループ批判団体のウェブサイトでは考えられない異様な言動がみられた。非宗教団体系のウェブサイトでは運営者の資金面の問題からか派手な行動を起こせない傾向がある。

ウィキペディア日本語版との関係

  • 信者による単発特攻が時折見られる。
  • 管理者の批判側・擁護側への加担は2007年5月現在見られない。

有名人

現在顕正会に入っている有名人は創価学会と比べると圧倒的に少なく、皆無とも言われている。

教祖の外れた予言・自語相違の数々

  • 「次に迫り来る恐るべきものは飢饉であること間違いない。来てはならないと思うが数年以内にはおこらんとしている。」(昭和49年2月26日 総幹部会)
  • 「まず第一の経済崩壊でありますが、(中略)このままいけば、あと数年で、国家機能そのものが麻痺するといわれています。」(昭和57年10月9日 第一回武道館総会)
  • 「もし今後二十五年に広宣流布が実現しなければ、核戦争により日本も世界も必ず滅亡する。」(昭和57年10月15日 臨時班長会)
  • 「第一の目標は百万を、私は今後十年で成しとげようと決意しております。」(昭和61年4月27日 第二回武道館総会)
  • 「私は、あと八年、平成十年までに、断じてこの百万を達成しようと決意しております。」(平成2年7月8日 横浜アリーナ)
  • 「早ければ来年からアメリカの経済崩壊が始まるかもしれない。」(顕正新聞 平成6年11月5日号)
  • 「この国家諌暁を、どのような形で行ったらいいのか。私は、国会請願の形を以て行うことが、最も適切と思っている。(中略)百万達成のとき、十万人の大行進を以て国会議事堂周辺を埋め尽くし、この請願書を堂々と提出しようと決意しているが、皆さん、どうでしょうか。」(顕正新聞 平成7年5月15/25日号)
  • 「まず第一の小田原地震、恐らく今年、これはもう間違いないでしょう。」(顕正新聞 平成10年1月15日号)
  • 「借りる期間は二十年。公正証書による契約をすでに交わしております。建築面積は七百七十坪、耐震強度も十分ある立派なビルです。(中略)名称は「顕正会青年会館」としたい。」(平成11年10月 総幹部会)
  • 「皇室に男子が産まれないのは日本人が日蓮大聖人を信じないからである。」(平成17年12月18日 日曜勤行指導)

参考文献

教団発行の書籍

  • 淺井昭衞,『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』(2004,冨士大石寺顕正会)

教団に批判的な書籍、雑誌の記事

自衛隊関連
  • 『週刊新潮』2004年8月12/19併合号(P58-59) 「自衛隊」幹部に浸透する信徒100万「顕正会」
  • 『ワールド・インテリジェンス』第6号(P131) 公安当局もマーク!? オウム事件以後も増殖する日本のカルト宗教 自衛隊に浸透する顕正会
若年層への布教関連
  • 月刊『現代』1999年12月号(P190-204)米本和広 東大早稲田などで急伸する「浄土真宗親鸞会」、高校生に広がる「顕正会」ってなに?--若者を魅きつけるラディカル仏教「終末論」
    • 「救い」の正体。』(ISBN 4796694617) 上記記事から冒頭部を除いて親鸞会関連の記載を削除し、顕正会関連記事に加筆された物が掲載されている。
    • 教祖逮捕―「カルト」は人を救うか ISBN 4796617191 月刊『現代』1999年12月号に掲載された記事の親鸞会関連の記述も含めた全面加筆版が掲載されている。

脚注

外部リンク

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