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'''十刹'''(じっせつ、じっさつ)とは、[[五山|五山制度]]に基づく[[寺格]]の一つである。[[五山]]の下・[[諸山]]の上。
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元来は[[南宋]]の[[寧宗_(宋)|寧宗]]が[[インド]]の5[[精舎]]10[[塔所]]の故事に倣って「五山」とともに「十刹」を定めて保護を与えたのが由来と言われている。
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日本では、[[建武の新政]]の段階で既に[[南禅寺]]・[[浄妙寺]](両寺は後に五山に昇格)・[[万寿寺 (大分市)|万寿寺]]が「十刹」に指定されていたことが明らかとされており、「十刹」成立を[[鎌倉時代]]末期とするのが通説とされている。
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[[室町幕府]]によって「天下十刹」が定められたものの、その時々に応じて入る寺院や順位などが変動した。そこで[[至徳 (日本)|至徳]]3年[[7月10日_(旧暦)|7月10日]]([[1386年]])に五山制度の改革にあわせて十刹制度の改革を行って、「京都十刹」と「関東十刹(鎌倉十刹)」に分けられて[[京都]]と[[関東地方|関東]]([[鎌倉]]以外の寺院も含む)がそれぞれ10ヶ寺ずつ定められた。だが、地方の寺院は「天下十刹」に入っていたものでも結果的にその資格を取り上げられたためにこれに強く反発し、後に枠外として「十刹」に追加される寺院も現れた。そのため、[[明応]]元年([[1490年]])には46、更に後には60ヶ寺まで増加することになった。
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==天下十刹==
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===暦応年間===
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*[[浄妙寺]] - 第一位(→後に五山昇格)
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*[[禅興寺]] - 第二位
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*[[聖福寺 (福岡市)|聖福寺]] - 第三位
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*[[万寿寺|(京都)万寿寺]] - 第四位(→後に五山昇格)
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*[[東勝寺]] - 第五位
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*[[万寿寺_(鎌倉市)|(鎌倉)万寿寺]] - 第六位
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*[[長楽寺 (太田市)|長楽寺]] - 第七位
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*[[真如寺 (京都市北区)|真如寺]] - 第八位
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*[[安国寺_(京都市)|安国寺]] - 第九位
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*[[万寿寺 (大分市)|(豊後)万寿寺]] - 第十位
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===その後に追加された寺===
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*[[清見寺]]
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*[[臨川寺]]
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*[[等持寺]]
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==京都十刹==
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*[[等持寺]] - 第一位
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*[[臨川寺]] - 第二位
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*[[真如寺 (京都市北区)|真如寺]]  - 第三位
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*[[安国寺_(京都)|安国寺]] - 第四位(→後に廃寺)
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*[[宝幢寺]] - 第五位
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*[[普門寺]] - 第六位(→後に廃寺)
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*[[広覚寺]] - 第七位(→後に廃寺)
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*[[妙光寺]] - 第八位
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*[[大徳寺]] - 第九位
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*[[竜翔寺]] - 第十位
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==関東十刹==
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*[[禅興寺]] - 第一位
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*[[瑞泉寺 (鎌倉市)|瑞泉寺]] - 第二位
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*[[東勝寺 (鎌倉市)|東勝寺]] - 第三位(→後に廃寺)
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*[[万寿寺_(鎌倉)|(鎌倉)万寿寺]] - 第四位(→後に廃寺)
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*[[大慶寺]] - 第五位
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*[[興聖寺]] - 第六位
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*[[東漸寺_(横浜市)|東漸寺]] - 第七位
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*[[善福寺]] - 第八位(→後に廃寺)
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*[[法泉寺]] - 第九位(→後に廃寺)
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*[[長楽寺 (太田市)|長楽寺]] - 第十位(→後に[[天台宗]]改宗)
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== トイレで女性の体触る、25歳修行僧を逮捕。修行僧から破戒僧への大脱線 ==
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繁華街で知り合った女性(20)の体を触ったとして、京都府警中京署は[[2012年]][[7月6日]]、強制わいせつの疑いで、[[京都市]]北区の[[臨済宗]][[大徳寺]]派[[竜翔寺]]の修行僧、渡辺俊邦(25)を逮捕した。
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逮捕容疑は5月31日午前4時15分ごろ、京都市中京区の公衆トイレで、大津市の女性の胸や尻を触った疑い。渡辺は「酒に酔っていた」と容疑を認めている。
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[[中京署]]によると、渡辺は同じ修行僧仲間と2人で市内の路上で声をかけて、知り合った女性2人と飲食店で酒を飲んだ。帰宅途中、女性の1人が公衆トイレに入ったところ、後を追うように渡辺もトイレに侵入。中に入るなり、女性の胸や尻を服の上からまさぐった。
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女性が抵抗すると渡辺は現場から逃走。女性はそのまま近くの交番に行き、被害にあったことを届け出た。携帯電話の番号を交換していたことなどから渡辺容疑者が浮上した。
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竜翔寺によると、同寺は大徳寺の修行専門道場で、修行は365日、24時間にわたって行われている。渡辺らは、寺を抜け出して酒を飲みに行ったとみられている。
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==参考文献==
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玉村竹二 『扶桑五山記』- 鎌倉市教育委員会(1963)
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2012年7月15日 (日) 20:59時点における最新版

十刹(じっせつ、じっさつ)とは、五山制度に基づく寺格の一つである。五山の下・諸山の上。

概要[編集]

元来は南宋寧宗インドの5精舎10塔所の故事に倣って「五山」とともに「十刹」を定めて保護を与えたのが由来と言われている。

日本では、建武の新政の段階で既に南禅寺浄妙寺(両寺は後に五山に昇格)・万寿寺が「十刹」に指定されていたことが明らかとされており、「十刹」成立を鎌倉時代末期とするのが通説とされている。

室町幕府によって「天下十刹」が定められたものの、その時々に応じて入る寺院や順位などが変動した。そこで至徳3年7月10日1386年)に五山制度の改革にあわせて十刹制度の改革を行って、「京都十刹」と「関東十刹(鎌倉十刹)」に分けられて京都関東鎌倉以外の寺院も含む)がそれぞれ10ヶ寺ずつ定められた。だが、地方の寺院は「天下十刹」に入っていたものでも結果的にその資格を取り上げられたためにこれに強く反発し、後に枠外として「十刹」に追加される寺院も現れた。そのため、明応元年(1490年)には46、更に後には60ヶ寺まで増加することになった。

天下十刹[編集]

暦応年間[編集]

その後に追加された寺[編集]

京都十刹[編集]

関東十刹[編集]

トイレで女性の体触る、25歳修行僧を逮捕。修行僧から破戒僧への大脱線[編集]

繁華街で知り合った女性(20)の体を触ったとして、京都府警中京署は2012年7月6日、強制わいせつの疑いで、京都市北区の臨済宗大徳寺竜翔寺の修行僧、渡辺俊邦(25)を逮捕した。

逮捕容疑は5月31日午前4時15分ごろ、京都市中京区の公衆トイレで、大津市の女性の胸や尻を触った疑い。渡辺は「酒に酔っていた」と容疑を認めている。

中京署によると、渡辺は同じ修行僧仲間と2人で市内の路上で声をかけて、知り合った女性2人と飲食店で酒を飲んだ。帰宅途中、女性の1人が公衆トイレに入ったところ、後を追うように渡辺もトイレに侵入。中に入るなり、女性の胸や尻を服の上からまさぐった。

女性が抵抗すると渡辺は現場から逃走。女性はそのまま近くの交番に行き、被害にあったことを届け出た。携帯電話の番号を交換していたことなどから渡辺容疑者が浮上した。

竜翔寺によると、同寺は大徳寺の修行専門道場で、修行は365日、24時間にわたって行われている。渡辺らは、寺を抜け出して酒を飲みに行ったとみられている。

参考文献[編集]

玉村竹二 『扶桑五山記』- 鎌倉市教育委員会(1963)