塩谷信男

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「鈴の印」のポーズをしている塩谷信男の「オーラ」写真[1]

塩谷 信男(しおや のぶお、1902年 - 没年不明)は、日本の医師、心霊研究家、宗教活動家。医学博士[2]

経歴[編集]

1902年(明治35)3月、山形県上山(かみのやま)町に生まれる[2]

1926年(大正15)3月、東大医学部を卒業[2]

1928年(昭和3)3月から、京城帝大医学部助教授。1930年(昭和5)5月まで在任。[2]

1931年(昭和6)5月、東京・渋谷に内科医院開設。この年から「手掌よりの放射線研究」や「霊魂及び霊界の研究」などの「特殊研究」を治療に応用し始める。[2]

  • 塩谷はこの頃から「心霊」の研究を始めたが、「1人の物理霊媒」と交際するようになり深みにはまったという。「霊団」の同好の人を8人ほど集めて、自宅でしばしば「交霊会」を開くようになった。交霊会ではよく大峯さんという古代霊が降霊していたという。[3]
  • この霊団は、「真(まこと)の大和(だいわ)のみ世(よ)生(な)り成(な)らせ給え」と祈り[4]、「宇宙の無限の力が凝り固まれば、真の大和の御世が生成する」と「断言」することで、「大和のみ世」を実現しようとしていた[5]

1945年(昭和20)5月、戦災で病院焼失[2]

塩谷は、親しい友人と「小さい会」をつくって長い間「交霊会」を続け、東久邇稔彦が総理大臣を辞職して(1945年8月)から間もないころ、交霊会に招待したことがあったという[6]

その後、東京・世田谷で病院を再開[2]

1947年(昭和22)より物理的心霊現象の研究をはじめ、1955年(昭和30)まで続ける[2]

  • この頃、交霊会で親しくなった「霊団」から「世界平和」を祈り、本願を達成するようにとの命令を受けたが、結局実を結ばず、1955年(昭和30)に運動は解散したという[3]
  • 戦後、塩谷は霊団の教義を「世界平和」と言い換えたが、実際には「世界平和」という言葉を使ったことはなかったという[4]
  • 塩谷は、戦後も「大動乱」が起る可能性を想定して、「正心調息法」によって心身を鍛え、「宇宙の無限力」を使える人が世界中に遍在するようになることで「大動乱」を止めることができ、「大乱一過のあと、生き残った人々によって、新しい大和のみ世が創り出される」とする[7]

1951年(昭和26)に母が死去。お通夜の席で、家族で「天杖」をし、母の霊を呼び出した。[8]

1986年(昭和61)3月、84歳のとき、病院を閉院[2]

1994年(平成6)当時、「正心調息法」および「宇宙無限力活用法」の普及につとめ、地上に「大和のみ世」を建設しようとしていた[2]

健康法[編集]

正心調息法[編集]

「正心調息法」は「調息法」(呼吸法)と「正心」(心の使い方)の表裏二面から成る[9]

  • 「正心」とは「正しい心」を持つことで、(1)物事をすべて前向きに捉えること、(2)感謝を忘れないこと、(3)愚痴をこぼさないことを指す。[10]
  • 「調息法」とは、腹式呼吸のことで、(1)背筋を伸ばし、両肘を体につけて鳩尾の下で組む「鈴の印」という姿勢をとる座り方をして、(2)ゆっくり腹式呼吸を25回繰り返した後、普通に10回呼吸する「息法」をしながら、(3)病気が治ることを念じ、(4)病気が治った後のことを具体的にイメージする(「内観」)[11]

宇宙無限力活用法[編集]

「宇宙無限力活用法」は、科学でまだ解明されていない宇宙に無限に存在する超科学的な力を、「思念」によって病気の治癒などに結びつけようとする方法。塩谷は85,6歳の頃に前立腺肥大症を患い、90歳のはじめに排尿が困難になり手術が必要になったが、病気が治癒して自然に排尿できると「想念」を発していたところ10日足らずで治癒したといい、そのことを『心霊科学』1993年(平成5)9月号に発表したところ、他にもそういうことを言う人がいたという。また1931年(昭和6)の昭和恐慌のとき、7,8人の実業家が大不況を乗り切ることができたのも、塩谷の言う通りにして宇宙の無限力を活用したためだとする。[12]

交友関係[編集]

  • 塩谷が知っている「ホンモノの物理霊媒」は亀井三郎津田江山萩原真竹内満朋の4人だけで、亀井とは1931年(昭和6)3月に一度会っただけだったが、他の3人とは戦後、長い間交流があった[13]。特に萩原とは親しくしており、萩原が満洲から引揚げてきて千葉県で暮らしていた頃、上京したときには塩谷の自宅が定宿になっていたという[13]
  • 萩原真の亡くなった友人「梶君」は、「交霊会」に「現代霊」として現われたといい、「梶霊」と呼ばれていた。現代語を話すことが難しい「古代霊」の言葉を現代語になおして教えてくれたという。[14]

家族[編集]

塩谷が神政復古の研究をしていた頃に生まれた次男の政古(まさもと)は、生後6ヵ月で亡くなり、交霊会のときによく霊として現れ、人形に憑依して動き回ったという[15]

著書[編集]

  • 塩谷 (1994) 塩谷信男『地球の破滅を救う』東明社、1994年、ISBN 4809500659
  • 1994年『宇宙無限力の活用』東明社、ISBN 4809500632
  • 1993年 『健康・長寿と安楽詩』東明社、ISBN 4809500608
    • 「塩谷式健康法」の本。よく売れて再版になった。[16]

付録[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

塩谷の著書については#著書を参照。