愛知長久手町立てこもり発砲事件

提供: Yourpedia
2007年7月24日 (火) 18:12時点におけるWorld wide web (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: ''''愛知長久手町立てこもり発砲事件'''(あいちながくてたてこもりはっぽうじけん)は、2007年(平成19年)5月17日から[[5月18...')

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

愛知長久手町立てこもり発砲事件(あいちながくてたてこもりはっぽうじけん)は、2007年(平成19年)5月17日から5月18日に掛け、日本の愛知県愛知郡長久手町で、男が元妻を人質に取って民家に立てこもった事件である。発生から解決まで約29時間に及び、警察官1人が死亡、男の家族と警察官1人が負傷した。

この事件は、SAT初の殉職者を出す事件となった。この事件の4週間ほど前には町田立てこもり事件が発生しており、テレビによる一部始終の中継もあり、立てこもり事件に対する新たな対策などを提唱させる切っ掛けともなった。

経緯

発生

2007年5月17日午後3時47分ごろ、愛知県愛知郡長久手町の民家から「父親が拳銃を持って暴れている」という通報が警察に入った。

その後、午後3時49分に容疑者の息子から「父親を興奮させたくないので家には来ないでほしい。持っている拳銃はおもちゃだ」という2度目の通報が入った。

愛知警察署長久手交番勤務員の巡査部長(当時54歳)が現場に駆けつけたところ、元暴力団組員の男(当時50歳)が巡査部長に向けて回転式拳銃(実銃)を発砲し、巡査部長は首を撃たれ現場民家の出入り口付近に倒れた。

巡査部長は2度目の通報内容から防弾チョッキを着ておらず、防刃プロテクターを着用していた。また、巡査部長が撃たれた直後に愛知警察署の刑事課員10人が3台の捜査車両で現場に駆けつけたが、10人の内6人は防弾チョッキを見に付けていたものの、拳銃は10人全員が携行していなかった。

容疑者の男は別れた元妻(当時50歳)との復縁について家族と話をしていたが、話し合いが上手くいかないことに腹を立て、銃を持ち出し暴れていたという。

また容疑者は、巡査部長への銃撃とほぼ同時に息子(当時25歳)の左腹部と娘(当時21歳)の右足も拳銃で撃ち負傷させた。民家を脱出した息子と娘は命に別状は無かったものの、息子は重傷であった。

その後、容疑者は元妻を人質にとり自宅に立てこもった。警察は現場周辺を封鎖し、容疑者に対して説得を続けたが、容疑者は「救急車が近づいたら撃つ」、「弾が100発ある」、「爆弾も持っている。近づいたら爆発させる」などと威嚇したため、民家の出入り口付近に倒れている巡査部長を容易に救出することはできなかった。

民家の敷地内には人の動きに反応して点灯する防犯センサーライトが設置されており、巡査部長の腕が動く度に点灯して周囲を明るく照らしていた。また、庭に1匹と室内に2匹の犬がおり、民家の裏から捜査員が近づいた際も吼えていたという。

午後4時45分頃、捜査一課に所属する捜査員(警部補)が容疑者を説得している間に、機動捜査隊が現場に到着した。機動捜査隊の捜査員らは、窓を開けて姿を現していた容疑者の死角に配置し、拳銃を構えて射撃する体制をとっていたが、突然、前線本部から「下がれ」と命令されたため、容疑者の制圧は中止された(週間文春2007年5月31日号参照)。 午後5時30分頃から午後6時頃にかけて、愛知県警察特殊捜査班 (SIT) の隊員が現場に到着。到着直後に防護車両を玄関に突入させて巡査部長を救出する作戦を計画したが、実行直前に前線本部からの指示により中止された。

この時点で、倒れていた巡査部長は「俺はもうだめだ」との言葉を残して、無線の呼びかけに応じなくなっていた。

愛知県警は、容疑者が「人質を撃つ」などと威嚇し続けたことから、作戦を転換したという。

その後、捜査員らは近くの敷地を借りて、盾で巡査部長を防護しながら救出する作戦の演習を繰り返し行った。

また到着時刻は不明だが、救出作戦開始前に愛知県警察の特殊急襲部隊 (SAT) も現場に到着した。

巡査部長救出

午後8時20分、巡査部長の救出作戦が最終決定する。SIT と機動捜査隊の隊員計16人で混成された救出部隊が、民家の敷地内に入り巡査部長を担架に乗せて運び出すのを、SAT の隊員計14人が後方支援という形で援護する計画である。

救出部隊の陣形は大盾を持った SIT の隊員7人が先頭となって1列に並び、その後ろに拳銃を持った SIT の隊員3人、その更に後ろに担架を持った機動捜査隊の隊員6人が続くという陣形。また、後方支援を担当する SAT は、約70メートル離れた建物の屋上に狙撃銃を持った隊員5人を配置、更に現場前の路上に拳銃や短機関銃 (MP5) を持った隊員9人を配置し、9人の内3人は、民家の前まで前進してきた防弾機能のある特殊車両の陰に身を隠しつつ、救出部隊を近距離から援護する計画だった。

午後8時54分、作戦開始。容疑者と娘が電話している間に救出部隊の前進が開始される。

午後9時20分過ぎ、SIT と機動捜査隊と SAT の隊員計25人がや銃を構えてつつ気付かれない様に民家に近いた。この際、防弾機能のある特殊車両については容疑者に気付かれてはならないとの判断から、計画よりも数メートル手前に停車させた。車両が手前に停車した結果、 SAT 隊員3人は特殊車両の前に出て援護する事となった。救出部隊はそのまま巡査部長の倒れる民家の出入り口へと向い、 SAT 隊員3人は駐車していた捜査車両に身を隠しつつ援護を行う。

作戦通り救出部隊が倒れている巡査部長を救出し、SAT のいる後方に搬送していた際、犬の鳴き声により警察官の接近に気付いた男が、民家の窓から救出部隊に向かって拳銃を発砲。後方支援のため捜査車両の間で短機関銃を構えていた SAT 隊員(当時23歳)の左鎖骨部に被弾した。この SAT 隊員は防弾チョッキを着用していたが、銃弾は何かに当たり兆弾して方向を変え、防弾チョッキの防弾効果のない胸と背中との繋ぎ部分を貫通、首筋の左鎖骨下部から入り上行大動脈を貫通していた。撃たれた隊員は即座に救急車で搬送されたが、心タンポナーデで5月18日午前0時頃に病院で死亡した。弾丸は体内から見つかった。救出された巡査部長は命に別状はなかったものの外傷性くも膜下出血などの重傷であった。報道によれば、この救出作戦の際、SATは民家敷地に犬がいることを知らされていなかった。

また、警察官救出の際、SATは前線本部から「発砲してきて、容疑者の姿が見えたら撃て」と命令されていた。救出中に隊員が撃たれた際、容疑者はブラインド越しに銃撃しており、姿が確認できなかったため、これに応戦する形での射撃は行われなかった。(週刊文集5月31日号参照)。

人質の脱出・保護

その後、しばらく膠着状態が続いたが、5月18日午前10時35分頃、容疑者が名古屋市のFMラジオ局に直接電話をして、放送中の番組のアメリカ人DJとの会話を要求してきた。

午後2時過ぎ、愛知県警察捜査員などの立会いのもと、容疑者と DJ との電話による会話が開始され、容疑者が自身に関する話などを始めた。

午後2時50分頃、容疑者が電話をしている隙に人質がトイレの高窓から脱出、警察に保護された。この頃になると応援の大阪府警察 MAAT もマスメディアの前に姿を現していた。

容疑者の投降・逮捕

人質が保護されると容疑者は次第に態度を軟化させ、特殊捜査班の交渉役捜査員が説得を続けると午後7時20分に自宅から出ることを約束した。

しかし、容疑者は投降する時間を延長し午後7時30分を過ぎても出てこなかった。現地対策本部では SIT に突入訓練の再チェックを指示しており、午後10時頃に強行突入する計画を進めていたという。

ちなみに容疑者は、交渉役の捜査員と午後7時頃から連絡が取れなくなり射殺されるかもしれないと危機感を感じ、自ら110番通報し命乞いをしていたことが明らかとなった。

さらに容疑者に対する説得が続けられたところ午後8時30分過ぎ、犯人が説得に応じて投降し、周囲を取り囲んだ捜査員によって逮捕された。

その後の捜査

事件後の調べで容疑者は、まず巡査部長に対して1発を発砲し負傷させ、さらに止めに入った息子と娘に対して各1発づつの2発を発砲して負傷させた。

さらに倒れている巡査部長と介抱をする娘に対して1発を発砲したがこれは命中しなかった。そして巡査部長の救出際に救出部隊に対して4発を発砲し、その内の1発でSAT隊員を死亡させた。

また、容疑者の使用した38口径の回転式拳銃はスペインなどで製造されたルビー・エクストラと見られている。押収時は実弾6発が装填されており、他にも実弾8発と薬莢10個が発見されている。以上の事から容疑者は少なくても24発以上の実弾を所持していたと見られている。容疑者は爆弾を持っていると威嚇していたが爆発物は発見されなかった。

警察の対応をめぐって

この事件で愛知県警察が行った捜査指揮に関して、報道・有識者・警察関係者などから批判が出ている。

また、かつて「あさま山荘事件」などの捜査指揮に携わった佐々淳行は、愛知県警察の事件対応について「強硬策をとるべきであった」として強く非難している。

一部では、警察に限らずこの事件について以下のような問題点が挙げられている。

  • 民家出入り口付近で、首を撃たれたまま動けなくなっていた交番勤務の巡査部長を放置。愛知県警の緊急無線を使用して、撃たれた巡査部長に対して捜査員が2時間ほど交信を行っていたが、巡査部長が弱って音信不通になっても3時間放置。撃たれてから合計5時間以上も救出に行かなかったこと。
  • 警察官救出時にSAT隊員が撃たれ、死亡した後も、狙撃や突入といった決断ができなかったこと。
  • 容疑者が立てこもり中にラジオでニュースを聞いていた状況の中で、マスメディアが隠密での警察の動きを生中継で報道していたこと。

ただし、警察の援護要因として以下がある。

  • 容疑者はSAT隊員をブラインド越しに銃撃しており中が見えず、人質を盾にして銃撃している可能性があったので警察は反撃できなかった。
  • また、敷地内に防犯センサーライトが設置されていた事や、庭に1匹、室内に2匹の犬がいるなどの悪条件が重なっており、これらのために解決が遅れたとの見方もある。
  • この事件について警察庁は2007年6月15日、事件への対応をめぐる検証結果を、愛知県警から報告を受け公表した。

検証では、負傷した警察官の救出に5時間以上がかかったことについて「時間短縮の余地があった」と結論づけた。またSATの隊員が殉職したことについては、「(捜査幹部が)現場に配置された各部隊に対し、より一層きめ細かな指示を行うことに配慮する必要があった」と指摘し、「防弾用装備品の改良も必要」とした。さらに、発砲事件発生の一報を受けて現場に向かった警察官が撃たれたことについては、「死傷事故防止への配慮を徹底する必要があった」とのことであった。

また読売新聞(2007年7月11日、朝刊)によると、「事件発生から4時間半後に、刑事部長が県警本部長に対して、救出作戦を電話で報告するまで、検討中の作戦案の内容や議論の進み具合が報告されることは無く、本部長も報告を求めなかった。」とされている。さらに同紙によれば、刑事部長からの報告も「SATが遠距離と近距離から狙撃支援を行う」といった程度で、具体的な報告は行われなかったと掲載されている。また、現場には170人もの警察官が動因されていたが、トイレは大用・小用ともに1台づつしか用意していなかった。緊張から多くの警察官がこのトイレを使用したが、これが作戦開始が遅れる一因になったとしている。

影響

  • 2007年5月17日(事件発生日)
    • 午後4時14分 - 現場周辺が立ち入り禁止になる。また、規制区域内を通る名鉄バスが都市間高速バス高針線は区間運休。藤が丘駅を発着するバスは全区間運休または迂回運転となる。
  • 2007年5月18日
    • 午前6時30分 - 長久手町教育委員会が、付近の学校に在籍する小中学生に自宅待機を指示。
    • 午前8時 - 規制区域内を通る長久手町のコミュニティバスが始発から運休。
    • 午前10時 - 現場近くの愛知学院大学が、18日の全授業の休講を決める。
    • 午前11時 - 長久手町教育委員会が小中学校の休校を決定。保育園も休園状態になり、名古屋外国語大学も休講を決める。
  • 2007年5月19日 - エンタの神様にて陣内智則のネタが放送される予定だったが内容がシューティングゲームと、事件を彷彿とさせるものだったため急遽他の芸人のネタに差し替えになった。そのネタは6月9日に放送されている。
  • 2007年5月22日 - 日本テレビのドラマ「セクシーボイスアンドロボ」のVoice 7(第7話)が事件と類似する内容だったため、第2話の再放送に差し替えると発表した。

外部リンク

関連項目


Wikipedia-logo.svg このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・愛知長久手町立てこもり発砲事件を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。