教育関係者に対する呼称

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当項は教育関係者に対する呼称(きょういくかんけいしゃにたいするこしょう)とその意味についての説明である。

各呼称

教育者教育家
教育者(きょういくしゃ)または教育家(きょういくか)とは、教育を行う人のことである。教育人(きょういくじん)ともいう。特に教育に関して十分な技術経験を持った人を指すこともある(特筆すべき教育実践のある人、新たに学校を創設した人など。)。なお、単に教育を行う職については、技術や経験があるかどうかの意味を特に含ませずに教育職と呼称されることも多い(教育職については、下記を参照。)。
先生
先生(せんせい)とは、学ぶ人に教える人のことである。その人に対する敬称としても使われる。古くは(鎌倉時代)「せんじょう」といい、師と仰ぐ人や目上の者への敬称として使用されていた。
「先生」と呼ばれている代表的な職業としては次のようなものがある。
しかし、教育者・教育職以外に「先生」の敬称を使うことに批判的な意見がある。ただし、教育者に準ずる者など、教育要素を含む児童福祉専門職については許容する意見もある。さらに、専門職については先生と呼ばれる職種の基準が曖昧であり、専門職のという職業自体も定義が曖昧なため先生と呼ばない場合もある。
時代劇などでは用心棒や剣客が「先生おねがいします」などと呼ばれる場合が多い。
一般的に世間的に先生と呼ぶ職業は3師と呼ばれる教師、弁護士、医師であり、建築士、音楽家、薬剤師、臨床検査技師など身内同士や同業者間でのみの敬称に使われている場合とにわけられる。
侮蔑の意味を含んだ「センセ」や「センセイ」と解釈されることもある。
中国語では「先生」は男性に対する敬称(英語で言うMr.、~さん)なので注意が必要である。また、妻が夫を呼ぶとき「我的先生(私の夫)」と言うこともある。
労働基準法において、国(厚生労働省)が認める高度な専門知識を持つ資格としては、医師歯科医師薬剤師一級建築士獣医師弁護士社会保険労務士公認会計士税理士技術士不動産鑑定士がある。
教師
教師(きょうし)とは、教える人のことである。先生に類似した用語であるが、教師は、教育を担当する者以外を指すことはなく、「先生」とは異なって敬称として使われない(「○○先生」という使用例はあるが、「○○教師」という使用例はない。)。教師という用語は、「家庭教師」などのように物事を教える人全般に使われる。第一人称としては、小学校などごく年少の生徒に対する場合を除き、あまり用いられない。
教育職
教育職(きょういくしょく)とは、教育を担当する職のことである。教育職は、事務職などの職に対して、区別するときなどに主に用いられる。
教員
教員(きょういん)とは、教育を担当する一定の職のことである。教員には、通例、学校教員各種学校講師など、授業を行う人が該当する。
教授教諭
教授(きょうじゅ)、教諭(きょうゆ)は、学校教育法に定められた職名である。
教授は、大学など高等教育を施す学校において、学生を教授し、その研究を指導し、または自身が研究に従事する。職位に関して、教授は「特に優れた知識、能力及び実績を有する者」、准教授は「優れた知識、能力及び実績を有する者」、助教は「知識及び能力を有する者」という(専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の)資質の区別がある。准教授、助教の職務内容は教授と同じである。一方、講師は教授又は准教授に準ずる業務、助手は教育研究の円滑な実施に必要な業務を行うとされている。
教諭は、就学前教育初等教育中等教育を行う学校において教育または保育を司る。教育職員免許状を受けている者のうち、現に教職についていない者をペーパー先生ということがある。
教育学者・教育学研究者
教育学者(きょういくがくしゃ)または教育学研究者(きょういくがくけんきゅうしゃ)は、学問としての教育(教育学)の理論の研究・実践指導に従事する人である。大学における教育学(または教員養成課程)の教員がまず挙げられるが、在野の教育評論家ももちろんこれに含まれる。教育人の一として考えられるが、他の分野と違い、学校現場で教鞭をとっているわけではない可能性もある。教育のセオリーを著作論文講義講演などでもって伝達しているため、一般的に社会に対する影響力は大きい。
教官
教官(きょうかん)は、警察官軍人などの「官職」の教育を担当する職の呼称である。また、公務員の地位を有する一定の教育職の官職名は教官であり、総務教官、法務教官、厚生労働教官、国土交通教官、防衛教官などがある。例えば、防衛省文教研修施設である防衛大学校の教育職(教授、准教授、講師、助教)の官職名は防衛教官であり、厚生労働省の文教研修施設である国立国際医療センターに属する国立看護大学校の教育職の官職名は厚生労働教官である。一方、かつての国立大学の教育職は文部教官(文部省時代)あるいは文部科学教官(文部科学省時代)という官職名であったことから「教官」が用いられていたが、国立大学法人化により教職員は非公務員とされたことから、「教員」に改められた。
特異な例として、自動車教習所の指導員も「教官」と呼ばれる事がある。

先生という呼称の拡大

先生とはもともと、教える人の呼称であるから、学校の場面で使われるのが基本である。それが他の場面に広がってきた理由は次のようなことが考えられる。

  • 政治家には政治家から教えを請う書生や、秘書がいた。彼らは政治家を先生と呼んだ。
  • 看護師教育は古くは医者が行っていたので、看護師は医者を先生と呼んだ。
  • 弁護士事務所には、事務所の仕事をしながら司法試験を目指す若者が多くいて、弁護士に教えを請うていたため弁護士を先生とよんだ。

上記の場合は、教える人を先生と呼び、一般にも広がっていった。

  • 漫画家は編集者に作品を渡す、かれらは漫画家を先生と呼ぶであろう。

この場合は、「新しい(先立って)作品を作り出す(生み出す)」ことから先生と呼び、一般にも広がっていった。

以上の場合ではなくても社会的地位向上のため、先生と同業者の間で呼び合うなどで、一般に広まる場合もある。

『恩師』という間違った認識

これら「先生」という間柄は、教員と生徒の間にて行われる呼称であり、担当をしなかった第三者からしてみれば、職場上原則として教員であるが第三者の「先生」ではない。にもかかわらずテレビメディアでは元担当教師を紹介する際には「恩師」として説明する。このような関係は人間個人の認識によるものであり、個人が思っていればすむ話である。

2008年12月06日、鳥取県米子市のレストランで、私立米子松蔭高校教諭の男性教師がその双子の弟と食事をしていた所、偶然卒業した元生徒が目撃、懐かしさか同じく食事を取っていた友人等と共に見ていた所、その人物が担当した生徒と気が付かず教師とその弟が同駐車場にて暴行を行ったという事件がおきた[1]。この持論の報道に際し、フジテレビなど各局メディアは教師と生徒の関係を「恩師」として報道。ネット各ページでも同様の説明を行っている。

これには

「教職員は全て尊敬の対象」という誤った認識(90年代に流行した学園ドラマの影響も含む)により、一般社会の通例として「先生と呼ばなくてはならない」のが常識化。 教員免許を持つ物、教職に似たような立場の物は総じて「恩師」と呼ぶのはいわば社交辞令なのだが、当人がいじめなどを受けた教師だとしても、「テレビだから」「他人の前だから」と我慢したり、悪質な教員である場合恩師である事を強要するなど、「恩師」という言葉を深く理解しないで使用するための様々な弊害がある。

先生どうしが先生と呼ぶことについて

先生と呼ばれる地位にある人が、自分の先生ではないのに、同僚を先生と呼ぶことについて違和感・不快感を持つ人がいる。しかしよく考えれば、これは日本の呼称システムからみて奇異なことではない。たとえば家庭において、父親が自分の父親を「おじいちゃん」と呼ぶのはよく見られることである。その家族の中のもっとも弱い立場にいる孫からみて「おじいちゃん」ならば、家族全員が「おじいちゃん」と呼ぶように、家族の呼称を決めている。学校においても同様で、児童・生徒の先生である人のことは、同僚が先生と呼ぶのも十分理由のあることである。

関連項目

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