社会民衆党

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社会民衆党(しゃかいみんしゅうとう)は大正末期に結成された日本の無産政党

概要[編集]

1926年(大正15年)3月に結成された労働農民党は、親共産主義の立場をとる左派の加入をめぐって分裂し、1926年(大正15年)12月には反共産主義の立場を取る右派が脱党して社会民衆党を結成した。委員長はユニテリアン教会の伝道団体である統一基督教弘道会の会長であった安部磯雄。その背景にはユニテリアン(ユニテリアン教会・惟一館)の社会運動進出があった。

当時非合法であった労働組合の合法化を求め、総同盟系の社会民衆党、組合同盟系の日本労農党評議会系の農民労働党が活動を始めたが、総同盟の基盤となる友愛会を創設した鈴木文治会長は安部磯雄の下で統一基督教弘道会の幹事を務めた。

1931年7月に新労農党全国大衆党、社会民衆党合同賛成派が合同し、全国労農大衆党を結成した。 さらに1932年7月に全国労農大衆党と社会民衆党が合同して社会大衆党を結成した(安部磯雄委員長・麻生久書記長)。

関連項目[編集]