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*福来友吉『催眠心理学概論』成美堂、1905年、{{NDLJP|759636}}
 
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*藤教篤、藤原咲平『千里眼実験録』大日本図書、1911年、{{NDLJP|759894}}
 
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*[https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/13/index.html 国立国会図書館 > 本の万華鏡 > 第13回 千里眼事件とその時代]
 
*[https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/13/index.html 国立国会図書館 > 本の万華鏡 > 第13回 千里眼事件とその時代]
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=== 参考文献 ===
 
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*{{Aya|小田|year=1985}} 小田秀人『生命の原点に還れ』たま出版、1985年1月、ISBN 4884811291
 
*{{Aya|小田|year=1985}} 小田秀人『生命の原点に還れ』たま出版、1985年1月、ISBN 4884811291

2019年6月12日 (水) 17:03時点における最新版

福来 友吉(ふくらい ともきち)は、日本の心理学者。変態心理学を専攻し、「催眠術の心理学的研究」という論文で東京大学心理学部の学位を得て、同学部の助教授となっていたが、「千里眼」の実験をめぐる不正の責任を問われ、辞職した。[1]

福来は、当時、世間で騒がれていた御船千鶴子らの「千里眼」に着目して、1910年(明治43)11月12日から4日間にわたり、京大今村新吉医学博士と協同で、御船千鶴子について透視の実験を行った。[2]

また同年12月から翌1911年1月にかけて、丸亀の裁判所司法判事庁・長尾与吉夫人の長尾郁子について透視の実験を行った[3]

小田 (1985 284-291)によると、実験は、当時の東大総長・山川健次郎らも立会って2回行われ、透視は1回目は成功したが、2回目は実験の失敗で流会になった。立ち会った学者たちからは実験の方法に疑義が呈され、長尾郁子の念写はインチキであると思われるように発表がなされた。その後、長尾郁子はノイローゼになって死去したという。

福来は、1913年(大正2)に実験の問題の責任を取る形で東大助教授を辞職した[4]。それ以後、東大の心理学部では心霊研究はタブーとされるようになったという[5]

著書[編集]

  • 福来友吉『催眠心理学概論』成美堂、1905年、NDLJP 759636
  • -『透視と念写』東京宝文館、1913年、NDLJP 951182/2

関連文献[編集]

  • 藤教篤、藤原咲平『千里眼実験録』大日本図書、1911年、NDLJP 759894

外部リンク[編集]

付録[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 小田 (1985) 小田秀人『生命の原点に還れ』たま出版、1985年1月、ISBN 4884811291