都営バス

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都営バス(とえいバス)は、東京都が経営する公営バス都バスと呼ばれる。

東京都交通局内にバスを担当する「自動車部」(都電都営地下鉄日暮里・舎人ライナーは電車部)があり、バスの輸送人員は日本一の神奈川中央交通に次いで全国2位。

東京都区部青梅市を主な営業エリアとする一般乗合バス事業の他、渋谷・南千住に集約配置されている観光車両(5台)、乗合用車両の転用による貸切バス事業も行っている。

2002年に乗合バスの営業区域の規制がなくなり、事業者間の競争が激化した。そのため、2003年から毎年4月に、経営効率化のために一部事業所で東京都が出資する民間事業者「はとバス」への業務管理委託を行っている。また、2003年より江東・江戸川・深川の各営業所で江東区内の中学校登下校用のスクールバスの運行を受託している(年度によりうち2営業所が運行)。

沿革

創設期

東京都によるバス事業は、1924年1月18日に東京市電気局が暫定的に乗合バス(東京市営バス)事業を開始したことに端を発する。これは、1923年9月1日に発生した関東大震災により、東京市が運営していた東京市電は大打撃を受け、復旧には相当な期日がかかることが見込まれたため、市電の代替輸送機関としてだった。最初に開通した路線は東京駅渋谷駅(中渋谷)、巣鴨駅(巣鴨)と東京駅を結ぶ路線で、運行開始時はワンマン運転を採用し、停留所で切符を販売する形だった。また、当時の車体は明治初期の乗合馬車を連想させた。乗合馬車自体を「円太郎」と呼んでいたのに因み、この乗合馬車然とした市営バスは円太郎バスと呼ばれるようになった。

事業の恒久化へ(大正末期 - 昭和初期)

このように始まったバス事業は好調で、車庫の増設・車両の増備が図られることとなった。ただし、市電の復旧により利用者の減少が見られると、当初の目的が達成されたため許可期限だった1924年7月末に運行を終える方向性だった。しかし、市バス利用者が定着してきたこと、購入車両や設置した車庫などの投資、運転手などの従業員の処遇などの問題もあり、東京市会により運行が継続されることが決定した。これに伴い、運行時間や運転系統の見直しが図られることとなった。

このころ、既に東京市内には東京乗合自動車が経営する乗合バスが運行しており、好成績を上げ、市電の強敵となっていた。同社のバスは青色(実際は深緑色)に塗られていたため、「青バス」と呼称され、また車掌に10代後半 - 20代後半の女性を採用したが、制服の襟が白色だったことから「白襟嬢」と呼ばれ、注目を集めていた。

東京市は、これに対抗して当初ワンマン運転だった乗合バスに女性車掌を採用した。こちらは制服の襟が赤色だったことから「赤襟嬢」と呼ばれるようになる。なお、女性車掌の乗務は戦後、バスのワンマン化が進む中でも1980年代ごろまで散見された。

戦前(昭和10年代)

日中戦争が始まるにつれ、物資の統制が進むようになり、燃料を手に入れることが次第に困難な状況へとなっていった。この中で、木炭車の導入をはじめとした代燃化を進めていく。1939年には市電式木炭ガス発生炉を開発し、これをバス車両に取り付けていくことが進められた。また、陸上交通事業者が乱立していることが戦時体制下では非効率であると判断され、どのような形態にしていくのかが国により議論されていくこととなった。1938年には陸上交通事業調整法(陸調法)が施行され、この法律に基づく委員会により民間と東京市の対立があったものの、東京市内と周辺地域について以下のような調整案がまとまることとなった。

  1. 旧市内は、路面交通事業者は東京市、地下鉄は新設する特殊機関(のちの帝都高速度交通営団、現在の東京地下鉄)に統合。
  2. 旧市内以外は4ブロックに分けて統合。ただし、地域相互の連絡、規格統一を行う。
  3. 国鉄は除外。

この案をもとに、東京市は旧市内のバス事業者の統合を図った結果、1942年2月1日までに、東京市は市営バスのライバルだった「青バス」こと東京地下鉄道のバス部門、東京高速鉄道傘下の「黄バス」こと東京環状乗合自動車、城東乗合自動車、王子電気軌道の全路線、そして京王電気軌道東京横浜電鉄のバス部門と東京地下鉄道系列だった葛飾乗合自動車のそれぞれの旧市内路線、大東京遊覧自動車を、政府による裁定指令などもあった上で買収を完了した。これで、東京市は天王洲 - 渋谷駅 - 新宿駅 - 池袋駅 - 赤羽駅 - 荒川大橋 - 千住新橋 - 小松川橋 - 今井橋に囲まれた東京中心部の乗合バス事業を独占することとなった。

1942年に電力統制が敷かれたため電気事業が分離され、1943年10月1日には東京都制が施行され、東京市電気局は東京都交通局に名称を変えることとなった。

戦時中は、工場への輸送などの需要をさばく必要が生じていたことと、物資の不足や空襲などによる施設、車両への被害なども相まって、運行する路線も限られたものへと縮小することとなった。

戦争からの復興

第二次世界大戦後は、わずか12系統が運行されるだけとなり、浜松町・渋谷・新宿・大塚・千住・大島・堀之内・江東の8営業所と4つの分車庫が存在するのみだった。車両も木炭車を中心とした代燃車両が用いられていたが、満足に走ることのできる車両は多くなかった。このような中で、米軍から余剰のトラックトレーラーが日本国内のバス事業者に払い下げられた。東京都交通局には約400台が割り当てられ、復興に大きく貢献する。

路線・事業の拡充

このような戦災復興中の1947年には、現在ではほとんど運行されなくなった民営バス会社との相互直通乗り入れが始まる。これは陸調法の関係や営業権の問題も絡み、なかなか進まなかったが、GHQによる勧奨もあり、推進されることとなった。1948年には、休止中だった遊覧バス事業を新日本観光(現・はとバス)へ譲渡した。しかし、バスによる観光客の増加が見込まれたため、1953年に新たに免許を申請することとなり、1954年には観光バス事業を再開した。

路線再編・都電の廃止

1952年地方公営企業法の適用を受ける。この後は乗客の増加などもあり経営的には順調だったが、1961年度以降は赤字基調となり、度重なる運賃の値上げによっても解消することは出来なかった。その中で、経営改善を行うために路線の再編やワンマンバス化などが行われることとなった。

さらに、モータリゼーションの進行とともに、都内でも郊外からの交通需要の増加などにより、慢性的な渋滞が都心部で発生するようになった。この影響もあいまって都電は現在の荒川線を残し、1963年から1972年にかけて次々に廃止され、無軌条電車(通称トロリーバス)も廃止された。これらの多くは代替輸送路線として都営バス路線が設定され、37系統が設定された。この都電代替路線の多くは、現行の都営バスの基幹となっている。

  • 都電廃止に伴い設定されたおもな系統
都電系統 廃止時運行区間 代替バス系統番号 代替バス運行区間 現在の系統番号 現在の運行区間
電6 渋谷駅 - 六本木 - 新橋 506(初期は504) 渋谷駅 - 六本木 - 新橋駅 都01 渋谷駅 - 六本木駅 - 新橋駅
電16 大塚駅 - 錦糸町駅 516 大塚駅 - 錦糸町駅 都02 大塚駅 - 錦糸町駅
電20 江戸川橋 - 須田町 520 早稲田 - 須田町 上58 早稲田 - 上野松坂屋
電22 南千住 - 日本橋 522 南千住 - 東京駅八重洲口 東42甲 南千住車庫 - 東京駅八重洲口
電23 福神橋 - 月島 門33 豊海水産埠頭 - 亀戸駅 門33 豊海水産埠頭 - 亀戸駅
電28 錦糸町駅 - 日本橋 東22 錦糸町駅 - 東京駅北口 東22 錦糸町駅 - 東京駅北口
電34 渋谷駅 - 金杉橋 534 渋谷駅 - 赤羽橋 - 新橋駅 都06 渋谷駅 - 赤羽橋駅 - 新橋駅
電38 錦糸堀 - 門前仲町 錦14 錦糸町駅 - 門前仲町 都07 錦糸町駅 - 境川 - 門前仲町

また、前述のように東京都交通局の財政状況は芳しくなく、第二次再建計画(昭和50年代前半)、第三次再建計画(昭和50年代後半)が提示されることとなり、バス事業においても不採算路線の廃止・短縮などの再編が行われることとなった。同時に、都営新宿線などの新線開業に伴う再編も行われた。

  • 第三次再建計画に伴うバス路線の状況の一例(1982年12月に行われた大規模改変)
系統番号 廃止時運行区間 備考
門19乙 門前仲町 - 豊洲鉄鋼埠頭 廃止
東26 東京駅八重洲口 - 葛西車庫 廃止
東42乙 南千住 - 岩本町 廃止
里48乙 日暮里駅 - 根津一丁目・日本医大病院 - 文京区役所 廃止
中77 中野区役所 - 新代田駅 廃止(関東バスと相互運行)
橋78 新橋駅 - 新宿車庫 廃止
東96 東京駅八重洲口 - 高輪 - 五反田駅 廃止
東中野- 秋葉原 廃止

一方、青梅地区でのバス事業は1949年に始まった。当時、青梅地区は西東京バス西武バスで運行が行われており、成木地区への路線が開設された以外は、この二者による独占体制だった。しかし、青梅市の山間部で人口減少が進み、1975年には一部を除き西武バスが撤退することとなった。このため、東京都交通局が引き継ぐこととなり、青梅地区の路線は一部を除きほぼ現在の形へとなった。

バスサービスの改善

一方で、バス事業のサービスの改善も行われることとなり、1979年には深川・練馬・葛西・早稲田の4営業所において冷暖房車の運用を開始した。全営業所で冷暖房車が投入されるようになるのは1980年で、当初は1営業所につき2台、全車が冷暖房車となるのはさらに時代の下った1990年だった。1981年には行先方向幕を大型化した冷暖房車が210台投入され、都電廃止時に大量投入された1968年 - 1969年に投入された車両が置き換えられた。なお、これら投入された冷暖房車はイエローベースに赤ラインの「スズキカラー」となっていたが、利用者や都民からの評判は悪く、4つの車体塗色の変更案を出し、結果1982年にアイボリーをベースに緑色のラインを入れた「ナックルライン」と呼ばれる新塗色へ変更することとなった。319台が投入され、1983年までに初期車を置き換えた。

塗装変更に当たっては「都バス色彩懇談会」を設置し、中には岡本太郎もいた。自身は濃い緑に赤やクリームの模様を入れた塗装を考えて、特別出品車として実際に披露されたこともある[1]

上記のようにサービスの改善は行われていたものの、再建計画や路線再編が何度も存在したことから分かる通り、バス乗客数はモータリゼーションに伴う道路渋滞の悪化、定時制の喪失など様々な要因が重なり、利用客が減少していった。これらを改善する方策の一つとして1984年都市新バスの運行を旧・橋89(渋谷駅 - 新橋駅)で開始することとなった(愛称は「グリーンシャトル」、系統番号は都01)。この路線は成功を収め、都市新バス化の前後で利用客の増加やバスに対する信頼性を回復した。この都市新バスはその後も設定が行われ、2010年現在では都営バスとして8系統(都01 - 08)が設定されている。また、2000年からは増収対策の一環として車体に広告を貼り付けるラッピングバスが登場した。

1990年代以降の動向

このような様々な方策により利用客の減少をつなぎとめようと試みてきた。しかし、大幅な路線の廃止を伴う路線再編が地下鉄の延伸の機会に多く行われて来た。半蔵門線南北線の延長や都営大江戸線りんかい線の全線開業、日暮里・舎人ライナーの開業に伴うものが代表的な例である。

これにより多くの路線が廃止・減便されるとともに、地下鉄とバス並行の区間などで利用客が落ち込むこととなり、バス事業の利用者は減少を続けることとなった。それに対抗するため、都営バスでは「アクセスラインバス」「ダイレクトバス」「ラピッドバス」「フレキシブルバス」といった新しいタイプのバス路線を運行することになった。

  • 都営大江戸線開業に伴う路線再編の一例
系統番号 運行区間 実施措置
黒10 目黒駅 - 東京駅南口 廃止
東17 東京駅八重洲口 - 潮見駅 廃止
水59 一ツ橋 - 巣鴨駅 廃止
田70 港区スポーツセンター - 新宿駅西口 廃止
秋76 秋葉原駅東口 - 新宿車庫 廃止
四80 四谷駅 - 赤坂アークヒルズ 廃止
茶81 渋谷駅 - 順天堂病院 廃止
急行05 錦糸町駅 - 新木場駅 - 東京テレポート駅 新設
FL01 錦糸町駅 - 大島駅 - 葛西駅 新設

24時間運行化

2013年4月16日、猪瀬直樹都知事は都営バスの24時間営業を行う方針を明らかにした。2013年内に六本木 - 渋谷の路線で片道1時間1本程度での運行を始め、問題がなければ都心部で24時間営業の路線を広げていく予定である。

営業所

2013年現在、都営バスでは以下の12営業所と7支所の体制で営業している。各営業所と支所には所属車両の識別などのためにアルファベットの略記号が設けられている。記号は制定当時、品川を基点に時計回りの順番に付与されたが、その後の統合・廃合や移転などにより、その順番はバラバラになっている。

※印のあるものに関しては、はとバスに管理委託された事業所を表す。

2013年4月現在
営業所名 略記号 所在地
(すべて東京都内)
所管系統
品川自動車営業所 A 品川区北品川1-5-12 市01・波01・海01・直行01・黒77・品91・井92・田92・品93・浜95・反96・品96(甲・乙)・品98・品99・深夜07
渋谷自動車営業所 B 渋谷区東2-25-36 都01・RH01・学03・学06・都06・田87・深夜01
渋谷自動車営業所新宿支所 C 新宿区西新宿3-19-1 宿74・宿75・早81・渋88
小滝橋自動車営業所杉並支所 D 杉並区梅里1-14-22 新江62・渋66・王78・宿91・品97
小滝橋自動車営業所 E 中野区東中野5-30-2 CH01・学02・飯62・橋63・飯64・上69・高71
北自動車営業所練馬支所 F 練馬区豊玉上2-7-1 学05・白61・池65
巣鴨自動車営業所大塚支所 G 文京区大塚1-4-2 都02・上60
千住自動車営業所 H 足立区梅田2-3-11-101 草41・草43・端44・北47・王49
南千住自動車営業所 K 荒川区南千住2-33-1 S-1・都08・都08急行・里22・東42(甲・乙)・上46・南千48・里48
江東自動車営業所 L 墨田区江東橋4-30-10 都04・都07・急行05・錦18・陽20・亀21・東22・亀23・門33
北自動車営業所 N 北区神谷3-10-6 王40(甲・丙)・王41・東43・王45・里48・王55・王57・深夜02・深夜11
巣鴨自動車営業所 P 豊島区巣鴨2-9-8 学01・都02乙・学07・東43・里48・茶51・草63・草64
江戸川自動車営業所臨海支所 R 江戸川区臨海町4-1-1 AL01・急行06・錦11・木11乙・新小20・東20・門21・葛西22・錦22・臨海22・平23・草24・秋26・亀26・西葛26・平28・船28・両28・新小29
深川自動車営業所 S 江東区東雲2-7-41 海01・波01・豊洲01・都05・業10・木11甲・錦13・東15・東16・門19・しおかぜ
早稲田自動車営業所 T 新宿区西早稲田1-9-23 上58・早77・池86
江戸川自動車営業所 V 江戸川区中葛西4-9-11 FL01・西葛20(甲・乙)・葛西21・新小21・新小22・葛西24・亀24・錦25・西葛27・錦27・錦27-2・錦28・
臨海28(甲・乙)・亀29・新小30・深夜03・深夜10
早稲田自動車営業所青梅支所 W 青梅市森下町554 梅01・梅70・梅74・梅76・梅77
品川自動車営業所港南支所 Y 港区港南4-7-1 都03・橋86・反90・反94・井96・品97・井98・田99
南千住自動車営業所青戸支所 Z 葛飾区白鳥1-8-1 上23・上26・錦37・墨38・草39

営業所の統合および廃止

都営バスでは、路線網の縮小や運行エリアの変化に伴い、営業所の統合および廃止が幾度か行われており、特にバスの利用者数が減少に転じた後の1980年代、そして地下鉄網が完備されつつある2000年代に集中して実施されている。

1980年代の事例として、まず1980年4月に滝野川営業所(記号:N)及び同所管轄下の昭和町分車庫が北営業所に移転統合された。また、1982年3月には志村営業所(記号:Y)が廃止され、同所の受け持ち路線は王78を除き北営業所に吸収された。1985年には新宿営業所八王子支所(記号:X)は唯一の所管であった立73系統が自治体からの補助金の計上停止に伴い廃止され、特定輸送のための分駐所となったが、これも同年度末に移管されて廃止された。1987年には船堀にあった旧・江戸川営業所(記号:R)及び同今井支所(記号:U)が廃止され、臨海町に新設された臨海営業所に統合された。

1997年12月19日地下鉄12号線新宿延伸時には練馬営業所が支所に降格し、2000年12月12日の同路線の全線開業時の再編では杉並・新宿・目黒の各営業所が支所に降格した。その際にAL02(現・豊洲01)・直行01・急行01 - 05(現在急行01 - 04は廃止)・FL01の各系統の新設や黒10・田70・秋76・水59・東17・茶81・四92の各系統の廃止、都03・橋86・草28(→両28)・茶51の各系統の経路の短縮などを行った。その後、2003年4月に目黒支所(記号:M)を品川営業所の分駐所とし、杉並支所をはとバスへ管理委託された。2004年4月には葛西営業所が江戸川営業所に改称され、臨海営業所を同所の支所になるとともにはとバスへの管理委託となった。この一連のはとバスへの管理委託の際に大規模な路線の所管換えが行われた(詳細は各営業所記事を参照)。また、2005年3月には目黒分駐所が廃止となり、目黒の路線は品川に、車両はほぼ全車両港南支所に転属した。2006年4月には新宿支所が新宿分駐所になり、青戸支所がはとバスへの管理委託となった(錦37系統を除く。なお同路線のために同支所内に南千住営業所青戸分駐所を新設したが、2008年4月からはとバス管理委託系統になったのに伴い、青戸支所に移管・統合された)。2008年4月には大塚営業所が支所に降格し、港南支所がはとバスへの管理委託となった。2009年4月に新宿分駐所がはとバスへの管理委託に伴い再び新宿支所になった。

特別路線

コミュニティバス

2001年6月29日台東区からの委託を受けてコミュニティバス「めぐりん」の運行を開始した。南千住の所管で、現・北めぐりんの経路を運行していたが、2004年4月1日日立自動車交通へ移管した。

2005年11月1日からは江東区からの委託を受けて「しおかぜ」の運行を開始した。深川の所管で、辰巳・潮見・枝川地区を走っている。

観光路線バス「東京→夢の下町」

2008年4月26日より、東京駅丸の内北口から日本橋・秋葉原・上野・浅草経由で両国駅に至る、下町地域の観光地訪問客に対応した路線バス「東京→夢の下町」を都営バス南千住営業所の管轄で運行している(2012年3月20日から両国駅発着から、錦糸町駅発着となった。また、東京駅発着は土休日の一部便のみ)。当路線の専用車両は、現有一般車両(2003年式日野・レインボーHR)の内外装を改造したもので、新造車両ではない。

運行開始に先立ち、2008年4月24日に行われた記者会見では、萩本欽一浅香光代デーモン小暮閣下をゲストに迎えた。

詳細は 都営バス南千住営業所#S-1系統(定期観光路線バス) を参照

臨時系統

東京ビッグサイトでのイベント、国立劇場での公演、江戸川競艇場でのレース、東京湾大華火祭開催時などのイベント時に周辺主要駅と会場間に臨時で運行される路線。

東京ビッグサイト関連

  • 国展01甲1:東京駅八重洲口 -(直通)-(←豊洲駅)-(直通)- 東京ビッグサイト(バスターミナル)
  • 国展01甲2:東京駅八重洲口 -(直通)-(←豊洲駅)-(直通)- 東京ビッグサイト(東駐車場)
  • 国展01乙1:東京駅丸の内南口 -(直通)-(←豊洲駅)-(直通)- 東京ビッグサイト(バスターミナル)
  • 国展01乙2:東京駅丸の内南口 -(直通)-(←豊洲駅)-(直通)- 東京ビッグサイト(東駐車場)
  • 国展01貸切:東京駅丸の内南口 -(直通)- 東京ビッグサイト(イベント関係者専用・無料)
  • 国展02:東京ビッグサイト -(直通)- 豊洲駅
  • 国展03甲:東京ビッグサイト -(直通)- 浜松町駅 ← 浜松町駅バスターミナル
  • 国展03乙:東京ビッグサイト - 台場二丁目 - お台場海浜公園駅 - 浜松町駅 ← 浜松町駅バスターミナル
  • 国展04:東京ビッグサイト -(直通)- 品川駅港南口
  • 国展05:東京ビッグサイト -(直通)- 錦糸町駅
  • 国展06:東京ビッグサイト -(直通)- 新橋駅
  • 国展07:東京駅八重洲口 -(直通)-(←豊洲駅)-(無停車・有明北橋経由)- 東京ビッグサイト(バスターミナル)
  • 国展08:東京駅八重洲口 -(直通・有明北橋/晴海大橋経由)- 東京ビッグサイト(バスターミナル)
  • 臨時急行(海01臨時):東京ビッグサイト - 豊洲駅 - 門前仲町
    • 実際に運行しているのは01・02・04のみ、03は2013年3月末で廃止となりケイエム観光バスへ移譲、05の運行実績はなし。

東京ビッグサイトへの臨時路線。おもに深川・品川が担当し、大規模イベント開催時には国展01・02は深川営業所を主軸として全営業所(青梅およびはとバス委託の支所を除く)から車両を拠出して運行される。その他系統は国展04が品川担当、臨時急行は深川が担当する。国展03は、2013年3月31日に虹01系統が廃止された影響を受け、ケイエム観光バスへ移譲された。

最も運行される機会が多いのが国展01系統である。かつて東京駅 - 晴海会場間に運行されていた臨時バスの流れを汲む路線で、晴海会場の閉鎖に伴いその代替施設として誕生した東京ビッグサイトで開催されるイベント来場客のピストン輸送を主任務とする。開催イベントなどの規模や動員数、時間帯などの要因により不定であるが、お盆(夏コミ)と年末(冬コミ)のコミックマーケット期間中、春と秋のギフトショー期間中はほぼ確実に運行される。また、2009年8月29日 - 30日にかけて行われた24時間テレビでも運行された。イベントによっては主催者が運賃を支払うため来場者は無料で利用できる場合があり、12月のエコプロダクツで見られる。

イベント開催時を中心時に運行されるため、イベントの規模・動員数や時間帯によって起終点の乗り場が変更される[2]ほか、運行経路も佃大橋・豊洲経由(東京駅八重洲口~新月島公園前の手前までは路線バスが通らない経路で佃大橋を渡る)を通るが、道路の混雑状況などにより東16の経路(中央大橋経由)や、晴海会場時代の経路である勝鬨橋・銀座経由に変更されるなど、臨機応変の運行形態となる場合が見受けられる。

急行扱いとなるため、停車停留所は豊洲駅(復路・乗車不可)だけだが、通過する場合がある[3]。なお、同区間を走る鉄道としてゆりかもめが存在するが、2006年3月27日に有明 - 豊洲が開業したため、豊洲とビッグサイトが鉄道で結ばれるようになった。

系統番号はLED表示器の場合は表示されるが、方向幕は側面にのみ掲示される場合が多く、前面方向幕は起点 - 終点表示だけの場合が多い(一部営業所には「急行」の表示がある)。また、「都営バス」「貸切」表示での運行もこの系統に含まれる場合があるようである。

2002年12月1日りんかい線全通に伴い、定時速達性に優れた同路線への相当数の利用客流出が見込まれたため、同月のコミックマーケット関連臨時運行から運行本数の見直しが行われ、小規模のイベントの場合は運行されない事が多くなったようだが、東京駅直結の抜群の利便性や、他の交通機関と比べて格安な運賃などの要因から、需要は依然として確実に存在している。

なお、ビッグサイト周辺道路の整備に伴い、東駐車場に入る臨時バスは運行休止中である。

門前仲町行きの臨時急行便は隠れた存在で運行される機会は少ないものの、運行されれば東西線大江戸線で帰宅する利用者で混雑する[4]。その後、2006年春に晴海 - 豊洲埠頭 - 有明を結ぶ道路が開通し、国展系統もこの道路を利用した新たな系統番号(国展07・08)が登場した。

2007年2月18日東京マラソンでは、観客・参加者の帰宅時にビッグサイト発が運行されたが、これらは、東京駅行き経路が交通規制エリア内に入るため、品川駅行きの臨時急行として運行された。旅客向け案内は「臨時急行」だったが、乗務員向けの時刻表には「国展04乙」と記載されていたため、国展04の初運行とされる。レインボーブリッジを経由するルートで、方向幕は「都営バス」もしくは白幕で、フロントガラスに行先が記載されていた。興味深いのは、国展系統開通時に運輸省(当時)に提出された路線概要では「ビッグサイト - 台場駅 - 品川駅」と記載されており、今回のレインボーブリッジ経由では台場駅を通らないため遠回りの経路、もしくは海01の経路だった首都高速経由で計画されていた可能性があり、この時の路線が乙系統とされたと考えることもできる。

劇場バス

国立劇場での公演終了後に1回運行されている。運賃は通常路線と同じで、劇04は廃止された茶81の経路を使用するため、廃止後もバス停が「降車専用」として使用されている。方向幕は前面が「劇場バス」(側後面は通常路線と同じ)で、LED表示器の場合は小さく行先が表示される。以前は側面も方向幕に「劇場バス」と表示された時期もあった。なお、これらの系統はほとんど地下鉄と並走し、かつ地下鉄の方が運賃が安いため、最寄り駅の半蔵門駅永田町駅赤坂見附駅まで徒歩で向かう人が多い。

かつては新宿コマ劇場帝国劇場明治座などからのバスも運行していた。

江戸川競艇関連

艇10と艇11は競艇開催時は随時運行されるが、その他は最終レース後の片道のみ運行される。すべて無料で乗車できるが、江戸川競艇場行きは途中バス停では乗車のみ扱い、逆に競艇場発は降車のみである。なお、宇喜田は通常の新小21が使用するバス停ではなく臨海22の自然動物園前に停車する。また、西小松川町停留所は小松川大橋付近にある競艇系統専用の停留所で、みんくるガイド(路線図)にも掲載されていなかった。なお、西小松川町停留場は2012年3月31日で廃止された。

晴海会場関連

  • 晴01:晴海会場 - 東京駅丸の内北口
  • 晴02:晴海会場 - 東京駅丸の内南口
  • 晴03・晴05:晴海会場 - 東京駅八重洲口
  • 晴04:晴海会場 - 豊洲駅

晴海埠頭にあった晴海見本市会場への輸送のため、東京ビッグサイト開業までの1996年まで運行された。その後は東京湾大華火祭開催時に運行されている。ただし、大江戸線やゆりかもめの開通により晴04のみが運行され、その運行回数も非常に少ない。東京駅からは都05の臨時便が運行されるパターンが主流となりつつあるが、最近では同路線の増車も減り、完全に地下鉄・ゆりかもめにシフトしている。

2006年の東京湾大華火祭では、豊洲駅発着便は系統番号を「晴02」として運行されたため、従来設定されていた東京駅発着便は設定自体が完全に廃止され、もしくは東京駅発着便をすべて「晴01」としたとされる。

2012年より、新たに晴海会場と東京駅八重洲口を結ぶ路線として晴05系統が追加された。

その他

臨01は江戸川区中葛西7丁目にある江戸川プールガーデンへの路線で、1985年から毎年夏季に運行されてきた。しかし、新小30開通以降運行されておらず、長期休止中の扱いであるため、所轄営業所さえ不明である。なお、運行当時は臨海営業所の所轄だったが、現在の臨海支所は臨時路線の免許を取得していないため、仮に臨01が復活すれば江戸川営業所の運行になる。

臨03は隅田川花火大会開催時に運行され、臨05は晴04と同じく東京湾大華火祭開催時に運行される(臨05は2007年以降運転なし)。

臨06と臨07は東京スカイツリー開業後の多客対応のために2012年5月22日より土休日限定で運行開始した(ただし、5月27日までは終日運行)。2012年7月29日をもって運行を終了した。

車両

都営バスでは、いすゞ自動車日野自動車日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)三菱ふそうトラック・バスの4社によって製造または販売された車両を導入している。従来は営業所毎に指定車(品川=日野、渋谷=三菱ふそう、小滝橋=いすゞ、江東=日デなど)があったが、ノンステップ車の導入や入札制度、三菱ふそうリコール隠しによる指名停止処分などにより近年では指定車種の原則が崩れており、現在では一部の営業所・支所を除き全メーカーを保有している。

また、リフト車・RH01専用車以外のホイールベースはすべて短尺(三菱は-K、いすゞは-Lなど)である。

低床化

車両の低床化には平成の初期から取り組み、1990年度に最初の超低床バスであるスロープ付バス「都市型超低床バス」が8両導入され、新宿営業所(現・新宿支所)を始めとする5営業所に配置された。1991年には前年度のスロープに代えてリフトを搭載した「リフト付超低床バス」が導入され、1995年度まで続いた。2009年2月に全廃。1996年度末に新宿にノンステップバス2台が試験配属される一方、1994年度から試験的に使用し、床面の高さを従来の850mmから650mmにして低床化を図った「らくらくステップバス」にリフトを追加した「リフト付新低床バス」も導入されたが、1997年以降のノンステップバス導入でこの1回限りに終わる。だが、リフトなしの「らくらくステップバス」は1998年まで継続投入された。1997年度以降はノンステップバスが投入され、ツーステップ一般車は1998年度分として1999年6月の投入が最後となった。1999年度からはすべてノンステップバスに統一され、2013年4月1日をもって全車両のノンステップバス化が達成された。

2001年度 - 2003年度に関しては日野・三菱・日産ディーゼル製の中型ベースのロング車を投入した。これは当初らくらくステップバスも合わせた形で車両計画を立てていたが、障害者団体の反対を受けたため、急遽全車両をノンステップバスとすることとなった予算的な制約の面も大きかった。

しかし、中型ベースでホイールベースをストレッチして大型車として導入したことにより、積み残し、パワー不足、乗り心地の悪さなどの問題が発生したことや、中型車クラスで乗客を輸送できる路線が少なくなって来た影響もあり、2004年度以降は基本的に大型車の導入へと変更された。また、コスト削減のため1メーカーから1車種を大量購入するようになった。詳しくは下記に記載する。

低公害化

都営バスは、かなり早い時期から低公害車の導入に積極的で、最初に投入された低公害車は1972年11月から1978年3月まで試験走行した「電気バス」である。いわゆる「自家発電」をしながらバッテリーも併用して走行するディーゼル・エレクトリックとシリーズハイブリッドの中間型だったが、試験終了後に他の低公害車が投入されることはなかった。その後、都営バスにおける低公害化は1991年に杉並へ試験導入された日野自動車製ハイブリッドバス「HIMR」まで待つ事となる。1992年以降は日野以外にも、いすゞ自動車「CHASSE」や三菱ふそう「MBECS」、日産ディーゼル「ERIP」といった蓄圧式ハイブリッドバスなどを数多く導入した[5]。この他、日デといすゞのCNGバスを1994年に南千住と深川に初導入し、1995年に臨海、1996年度に北に増備、後年にはノンステップバスとして深川・北・そして新宿にも投入された。

その他、低年式車(旧型車)の低公害化対策として、燃料をLPG併用に改造した車両も存在した。2000年には、港南でS-50相当の低硫黄軽油が導入され、あわせて連続再生式DPFの実証実験が行われた。2003年には、深川に燃料電池バス(FCHV-BUS)を配属させ、海01・東16で試験運行したことが話題となった。

2005年度前期投入車は、音声合成の種類で車種を決めている。クラリオン製を使用している営業所・支所は日野・ブルーリボンIIレシップ製を採用している営業所・支所はいすゞ・エルガをそれぞれ配属させた。いずれの車種も平成16年排出ガス規制(PJ-代、新短期規制)に適合している。
後期には日デ車を指定とする営業所・支所に限り、尿素SCRシステムを搭載した日デ車が導入された。これ以降導入される車両は、平成17年排出ガス規制(新長期規制)に適合している。

2006年度は日デ・スペースランナーRAが品川・渋谷・大塚・南千住・巣鴨・江戸川・青梅などの日デ車非指定所まで配属された。CNGノンステップ車も導入されるが、これは2003年度以来の三菱ふそう・エアロスターで、北・臨海・深川に配属されたが、北投入分は2011年に臨海に転属した。

2007年度は日野・ブルーリボンIIを導入。平成27年燃費基準に適合したモデルで、ヘッドランプの形状が2005年度前期投入車と異なる。長らく日デ車指定だった江東・北・小滝橋に配属され、特に小滝橋は4年ぶりに新車が配属されるとともに、同所初のLED式行先表示器を装備した車両となり、初の日野車配置になった青戸・練馬にも投入された。同年度にはさらに、日野・ブルーリボンシティハイブリッドを5両導入、渋谷営業所の2両では世界初となる第2世代バイオディーゼル燃料(BHD)を配合した軽油の実証実験も行われた。

2008年度は2006年度と同一車種の導入。同車は小滝橋・千住・早稲田(2009年に深川から転入)にも配属されたが、一部の営業所には日野・ブルーリボンシティハイブリッドを配属させ、青梅には中型車の代替で都営バス初となるいすゞ・エルガミオが配属された。

2009年度は販売会社の入札の関係上いすゞ・エルガが導入され、長らく新車・転属車を含めて日野車しか配属されなかった杉並をはじめ、28年ぶりのいすゞ製新車として北にも配属された。同年度には非接触給電装置を搭載したIPTハイブリッド車の実証運行が深川営業所で行われ、2011年にも実施された。

2010年度は三菱ふそう製のニューエアロスター(LKG-MP37FK)が導入され、三菱車は2006年以来4年ぶり、CNGを除くとL代以来7年ぶり。三菱車の配置がこれまでなかった品川・江東・杉並・小滝橋などにも配置された。また小滝橋営業所でGTLの実証実験が行われた。

2011年度も三菱ふそう製のニューエアロスターが導入。これも、品川・江東など、三菱と縁のない営業所に導入された。また、この年度は、青梅支所に所属していたエルガミオを築地市場循環(市01)に防水・前乗り改造を施したうえ転用し、その穴埋めで各地の中型ロング車を青梅に代替転入するという大規模な車両の動きもあった。

2012年度は3年ぶりにいすゞ・エルガ(QPG-LV234L3) が導入され、その後にエルガハイブリッド(QQG-LV234L3)が導入された。

2013年度は2年ぶりに三菱ふそう製のニューエアロスター(QKG-MP37FK)が導入された。

廃車車両の譲渡

都営バスではこれまで、排出ガス規制などで廃車となった車両を資源の有効活用という観点から地方の事業者に売却・譲渡していた。しかし、石原慎太郎知事(当時)が地方の環境問題についての指摘を受けたことが発端で環境対策を抜本的に改革すべきとの意見が高まり、2005年度より売却を取り止め、原則15条抹消となった(CNGバスは排出ガス規制対象外のため延命して使用)。

なお人道的支援においては例外とされ、実際にスマトラ沖地震による津波の被害でスリランカ国民の足であるバスが被災したため、スリランカ政府の要請もあり、177両の車両が無償譲渡された例がある。また、G代の特定車はまだ運用できる事を見込み、日立自動車交通へ売却された。他にスクールバスは運用が教育・福祉目的であることや特注車両であることから、購入年度の新しい数台は地方の事業者に譲渡されている。また例外として、いわゆる80条バスである大田原市営バスへ、グリーンライナーとして使用されていたB代のキュービックが譲渡されていた。

一般路線車は現在の排ガス規制適応車になったことから2008年度より地方事業者への譲渡を再び開始した。この時に譲渡されたバスは鹿児島交通などが該当する。ただし、純粋なディーゼル車は「排気ガス排出低減装置をつける」という条件を掲示していた。

一方、この件に対して中古バス市場では車両価格が急騰される事態となったこととともに、これまで老朽化された旧型車両を置き換える目的に整備状態の良い都営バスの中古車を購入し続けて来た地方の一般路線バス事業者からはまだ使える車両が購入できなくなるなどの問題が起きていた。

2011年3月11日東日本大震災が発生し、被災地の宮城交通岩手県交通ではバスが津波に流されるなどの被害を受けた。東京都では被災地支援のために2011年度に廃車予定の車両のうち62台を無償で譲渡することとなった。内訳は宮城交通に約30台、岩手県交通に約20台の予定。

その第一弾として、2011年6月22日、2台が宮城交通と岩手県交通へ譲渡のために都庁で出発式を行った。

被災地では、車両被災に伴う台数の不足や鉄道不通による代替輸送などでバスが必要となり、改めて譲渡を呼びかけている。

また、2012年8月30日には、北海道夕張市からの支援要請に応え、大型ノンステップバスを1両譲渡する旨の協定を締結、今後(9月18日以降)車両の引き渡しが行われる予定となっている。 さらに、石原知事の辞任後、都議会の平成25年予算特別委員会で、今後廃車する車両がすべて排出ガス規制に適合することから、中古車両として売却し有効活用を図るとしている。

局番

都営バスでは、車両の識別のため、「局番」と呼ばれる以下のような車両番号が車体側面に表記されている。

A- S 125 (品川)
営業所の
固有アルファベット
年式 固有番号 営業所
(例2)W-C851(青梅)
(例3)B-P001

最初の英字は前述した営業所の記号であり、上記例1ではBで渋谷営業所、例2ではWで青梅支所となる。ハイフン以降後のアルファベットは導入年度、3桁の数字のうち百の位はその車の区分を示し、1 - 7は一般車(中型ロング車を含む)、0は貸切車とコミュニティバス、8は中型車、9は特殊車(スクールバス)に割り当てられる。十の位と一の位は通し番号となっているが、42・49は忌み番として使われない(ただし、A414(3代)・C101(3代)など欠番もある)。貸切車は番号の後の営業所表記は省略される。

導入年度とアルファベットの関係は以下のようになるが、数字と似ているI・J・O・Q・Uを除く21字が用いられている。
年は年度、色は排ガス規制(S-B615(NE-)、R-A450(KC-)、N-P535(PJ-)、H-D221(記号なし)など例外あり):規制記号付記前、K-P-U-KC-KK-・KL-PJ-ADG-PKG-・BDG-・PDG-・BJG-LJG-・LKG-QQG-・QKG-を示している。
太字は全車廃車、イタリックは一部廃車。

A:195719741994
B:195819741995
C:195919751996
D:196019761997
E:196119771998
F:196219781999
G:19631979(昭和54年6月投入分)/1979(昭和55年2月投入分)、2000
H:196419802001
K:196519812002
L:196619822003
M:19661983(昭和58年7月分)/1983(昭和59年2月投入分)、2004
N:196719842005(いすゞ・日野)/2005(UDトラックス)
P:196719852006
R:196819862007
S:196819872008
T:196919882009
V:196919892010
W:197019902011
X:197119912012
Y:197119922013
Z:19721993

その他

音声合成装置

渋谷・杉並・千住・南千住・江東・北・巣鴨・臨海・深川・青梅・港南にはクラリオン製、品川・新宿・小滝橋・大塚・早稲田・江戸川・青戸にはレシップ(S-light)製の音声合成装置が搭載されていた。しかし、2006年にレシップ製全所とクラリオン製のうち旧型を搭載していた千住・巣鴨・青梅がネプチューン(現レゾナント・システムズ)製のFC-7000型装置に交換、残るクラリオン製(CA-2000B型)も2007年内にレゾナント・システムズ製のFC-7000に交換され、現在は全車FC-7000型に統一された。2009年4月1日からJR線乗換駅での言い回しが「JR線ご利用の方はお乗換です」となった。2012年度より東京スカイツリー開業などによる大規模な改変が実施されたことに伴い車内放送の音声が変更された。それにより、大塚のみ残っていた「次〜止まります・・・」「発車します おつかま〜りください」の放送がなくなり、深川・練馬を除く全営業所で「次 止まります 危険ですので停車してからお立ちください」となった。ただし、深川・練馬では「バスが完全に止まるまでそのままおまちください」となっている。2008年6月に反96系統、同年7月には都01折返系統で六本木けやき坂停留所に限りテレビ朝日上宮菜々子アナウンサーの音声が収録されている。また人気アニメとのタイアップキャンペーン期間中に限りキャラクターによる車内マナー啓発放送を放送される。

みんくる

  • 1999年1月19日に都営バスが営業開始から75周年を迎えた事を記念して、一般公募(一般公募の委託先は講談社フェーマススクールズである)により制定されたマスコットキャラクターである(ただし名前は交通局が決定し、都が商標権を持っている[6])。みんくるには「みんなのくるま」「とみんのくるま」という意味が込められている(外部リンク:都営バス「みんくるの小部屋」参照)。同年にリフト車6台、ノンステップ車3台、標準車1台にみんくるの特別装飾が施され、座席の表地はみんくるがプリントされたデザインになった。なお、ノンステップ車は2007年にPASMOラッピングに変更された。この座席は2000年度購入車から都営バスに標準装備されている(貸切車とコミュニティバス、RH01専用車、かつて存在していた特別支援学校スクールバスを除く)。
  • バス停留所の上部やバス車体の側面に掲出しているほか、2006年末からは行先表示幕(先頭部)の左側や車体後尾にもステッカーとして貼付されている。この時は背景色は水色だったが、S代車(2008年度)から淡い黄色に変更された。また、ラッピングバスのほとんどが後面のみ淡い黄色のステッカーを貼っている。

運賃と乗降方式

都区内と多摩地域で運賃体系が異なる。

都区内(東京23区内)
  • 山手線の内外を問わず運賃は均一制で、200円。乗降方式は前乗り・後降り。
  • 学バスは大人170円・小人90円、C・H01系統は大人180円・小人90円、AL01系統は大人100円・小人50円、深夜バスは大人400円・小人200円。
多摩地域
  • 区間運賃制(初乗りは大人170円・小人90円)で、乗降方式は後乗り・前降りとなる。
  • 多摩地域では「東京フリーきっぷ」「東京都シルバーパス」「都営まるごときっぷ」等でも乗車可能。ただし、23区内の定期券及び「都バス一日乗車券」は利用できない。また、上畑 - 下畑間は埼玉県飯能市内に位置するため、両停留所を相互発着となる場合は東京都シルバーパスが利用できず、別に普通運賃が必要となる。
お得な乗車券
  • 23区内の都営バスのみ有効な一日乗車券が大人500円・小児250円で発売中。前売りは定期券売り場・営業所などで、当日券はバス車内でも発売されている。
  • 2007年3月18日より、IC一日乗車券(SFより乗車券の発売額を差し引き、乗車時IC読み取り機にタッチすることによって利用することが可能)のサービスを行っている。都営バス車内でのみ発売、当日券のみ。
  • 青梅、多摩地区都営バス・都営地下鉄都電荒川線日暮里・舎人ライナーも利用できる「都営まるごときっぷ」が大人700円・小児350円で発売されている。前売り券(購入日から半年間のうち1日に限り有効)は都営交通定期券売り場・バス営業所・都電荒川営業所などで、当日券はバス・都電の車内と都営地下鉄・日暮里・舎人ライナーの各駅にて発売されている。ただし、前売り券と都バス車内で購入した当日券(券面に「有人改札専用」と表記)は磁気化されていないため、都営地下鉄や日暮里・舎人ライナーの自動改札機は利用できない。なお、2008年3月29日までは「都電・都バス・都営地下鉄一日乗車券」として発売されたが、同日までに発売された前売り券でも日暮里・舎人ライナーの利用が可能となっている。
  • 上記の他に、東京地下鉄(東京メトロ)全線や東日本旅客鉄道(JR東日本)の東京都区内全線も合わせて利用できる「東京フリーきっぷ」が、大人1,580円・小児790円で発売されている。前売り券(購入日から1ヶ月間のうち指定した1日に限り有効)のみ発売され、上記の「都営まるごときっぷ」の発売箇所の他に東京メトロのICカード対応自動券売機(西船橋駅を除く)やJR東日本の23区内の駅にあるみどりの窓口で発売されているが、バス車内での発売は行っていない。2009年3月31日発売分までは、磁気化されていないため、自動改札機は利用できなかったが(JR東日本発売分は2008年4月より様式を変更し、自動改札機が通れるようになっている)、2009年4月1日発売分から自動改札機を利用できるようになった。
  • 車内発売の乗車券は現金のみの支払いで、バス共通カード・回数券などは利用できない。ただし、IC一日乗車券に限りPASMOSuicaのSF残額から乗車券の発売額を差し引く。
  • ICカードPASMO・Suicaの普及を理由として、バス共通カードは2010年3月31日をもって発売を終了、同年7月31日をもって利用不可能となった。かつて販売していた都電・都バス用Tカードについても、2010年7月31日をもって利用を終了した。これに伴い、終了日の翌日から5年間までの間は無手数料での払い戻しを実施する。
  • 2008年現在、3券種の金券式回数券が定期券売り場で発売されている。割引額はバス共通カードと同じだが、こちらは都営バスでしか使用できない。なお、2008年6月30日まではさらに4券種が発売されていた。
  • 23区内通勤定期券(1か月9,000円・3か月25,650円)は持参人式のため、購入者名が記載されていても乗車時に持参人1名が利用できるため、購入者から定期券を貸与して乗車することもできる(通常の記名式乗車券は貸与すると不正乗車になる。なお、通学定期券はその性格上記載者しか利用することができない)。また、1か月と5日間有効で1万円の「定額定期券」も発売している(こちらも持参人式を採用)。また、都営バスと都営地下鉄・都電・日暮里・舎人ライナーを乗り継ぐ連絡定期券はそれぞれの運賃が10%割引となる。これは都バスの車内でもアナウンスされている。
    • なお、定額定期券は当日使用開始のものであればバス車内でも発売している他、多摩地域では定期券の発売箇所が非常に少ないため、定期券の車内予約販売を行っており、購入用紙に記入して運転手に渡すと指定の日時の便で代金と引き換えに定期券を発売する。
  • 2000年12月12日から2010年3月31日まで、都営バス間の乗り継ぎのために都営バス専用乗継割引カードを2,000円で発行していた。都営バス間を乗り継ぐ際、最初の運賃支払い時(都区内は乗車時、多摩地域は降車時)から2回目の運賃支払いが90分以内であれば2回目の運賃が100円引き(小児・割引運賃対象者は50円引き)になる。PASMO・Suicaでも乗り継ぎ時に同様の割引が適用される。なお、都電でも使用できるが、都営バスからの乗り継ぎ割引は適用されない。
    • その後のPASMO・Suicaでも同様な乗継サービスを利用可能であることから、2010年3月31日をもって発売を終了、同年7月31日をもって利用できなくなった。これに伴い、終了日の翌日から5年間までの間は無手数料での払い戻しを実施する。
  • 2006年10月25日から、都営地下鉄と乗り継ぎする場合に限り定期乗車券をクレジットカードでも購入できるようになった(但し発売場所は都営地下鉄の定期券売り場に限る)。
  • 2007年3月18日より全線でPASMOのサービスを開始するとともに、Suicaでも都営バスに乗車できるようになった。都営バスではバス利用特典サービスの他にIC定期券、乗継割引(都営バス専用乗継割引カードと同様のサービス、前述)のサービスを行っている。なお、PASMOやSuicaで利用した場合、履歴には「都電都B」と表示・印字される。
  • かつて運行していた2階建てバス台東区江戸川区からの受託運行だったが、定期券類や一日乗車券類は使用できなかった(2000年12月11日まで運行していた深夜中距離バスも同様)。また、2000年春から2004年春まで運行していた快速バス(東京駅 - お台場間・300円)も運行開始当初は定期券類や一日乗車券類が使用できなかったが、後の経路変更に伴い追加運賃を払えば使用できるようになっていた。
  • 江東区コミュニティバス「しおかぜ」は、ICカードや一日乗車券類・定期券・東京都シルバーパスなどで乗車することはできない。

都バスの日

東京都交通局が1月18日に制定した記念日である。1924年(大正3年)1月18日に東京市が運営していた東京市営乗合バスが東京駅への路線バスを2系統で営業を開始した日となる。前記したが、使用されたバスはT型フォードの11人乗りで「円太郎」の愛称で親しまれ、現行の都営バスのバスカードのデザインにも使われている。

都営バスでの東京オリンピック招致活動

2016年

2007年に、東京の2016年夏季オリンピック開催地への立候補が決定した。これをPRする目的で、同年10月からオリンピック関連のラッピングを施されたバスが運行を開始した。白地に各競技選手の写真入りで「オリンピックを東京に、2016年!」(12月の追加分では「日本」に変更)とのメッセージが表記されたものだった。2008年の各色で「日本だからできる、新しいオリンピック!」と表記された車両が運行を開始、既存の白地の車両はラッピング解除、あるいは現行のラッピングへ移行された。

2009年10月2日2016年夏季オリンピックの開催地はブラジルリオデジャネイロに決定し、東京は落選した。翌日以降全ラッピングは解除となった。

2020年

2011年に、東京の2020年夏季オリンピック開催地への立候補が決定した。

2013年9月7日2020年夏季オリンピックの開催地は東京に決定したため、ラッピングは一部の車両で継続されている。

高い賃金体系

和田秀樹の著書によると、都バスの職員は地方公務員であることから民間会社のバスの運転手に比べて高い賃金体系となっているとされ、一例として42歳時点の平均年収は615万円(民間の場合600万円)、退職金は1,500 - 1,850万円となる事例が挙げられている。また、年功序列賃金体系のため定年間際になると年収1,000万円になるという。これらの賃金の原資は本業のバス事業が赤字であるが歴史的経緯で東京電力の株式配当による補填でまかなっていると言われている。

脚注

  1. 2011年6月29日の東京新聞28面より。
  2. 東京駅発の場合、通常は八重洲口にある東16の乗り場だが、場合によっては道路向かい側の住友生命ビル前〈旧・銀ブラバス停留所〉となる。また、ビッグサイトも親路線である東16と別の乗り場が専用に設置されているが、小規模の場合は東16(臨時急行)扱いで運行され(幕は国展01を使用)、通常路線と同じ乗り場を使用する。
  3. 通過の場合は国展02が運行される。ただし、停留所は一つ隣の「豊洲一丁目」を使用する事が多い。
  4. 経路は国展系統の東雲駅前交差点を左折せず、海01と同じ有明テニスの森経由。なお、JR京葉線への乗換停留所である越中島には停車しない。
  5. 日野車は1998年のE代車で一時中断、2007年のR代車(ブルーリボンシティハイブリッド)で再開。日野車以外は1993年 - 1997年に導入した。
  6. 商標登録番号第4441142号

関連項目

外部リンク

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