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(主な歴史)
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1927年の[[クリントン・デイヴィソン]]らによるニッケル単結晶による電子線の回折実験により、電子に物質波が存在することが証明された。
 
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1926年、[[エルヴィン・シュレーディンガー]]は、物質波を表す[[シュレーディンガー方程式]]を発表した。
 
1926年、[[エルヴィン・シュレーディンガー]]は、物質波を表す[[シュレーディンガー方程式]]を発表した。
1926年、マックス・ボルンは、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとする[[確率解釈]](または、確率規則)を発表した。
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1926年、マックス・ボルンは、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとする確率解釈を発表した。
  
 
1927年、[[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]は、1つの量子について、2つ以上の[[可観測量]]を同時に克つ正確に測定することは出来ないとする[[不確定性原理]]を発表した。
 
1927年、[[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]は、1つの量子について、2つ以上の[[可観測量]]を同時に克つ正確に測定することは出来ないとする[[不確定性原理]]を発表した。
 
1932年、[[ジョン・フォン・ノイマン]]は、"Mathematical Foundations of Quantum Mechanics"([[量子力学の数学的基礎]])と題した書籍で、今日の量子力学の数学理論の基礎となる法則を発表した<ref>『量子力学の数学的基礎』 井上健・広重徹・恒藤敏彦訳、みすず書房、1957</ref>。
 
1932年、[[ジョン・フォン・ノイマン]]は、"Mathematical Foundations of Quantum Mechanics"([[量子力学の数学的基礎]])と題した書籍で、今日の量子力学の数学理論の基礎となる法則を発表した<ref>『量子力学の数学的基礎』 井上健・広重徹・恒藤敏彦訳、みすず書房、1957</ref>。
 
ジョン・フォン・ノイマンは、[[波動関数]]は複数の異なる状態ベクトルが重なりあった状態で時間発展しているとし、理論と観測結果と整合させるために射影仮説を導入した<ref>[http://as2.c.u-tokyo.ac.jp/archive/MathSci469(2002).pdf 清水明「量子測定の原理とその問題点」]</ref>。
 
ジョン・フォン・ノイマンは、[[波動関数]]は複数の異なる状態ベクトルが重なりあった状態で時間発展しているとし、理論と観測結果と整合させるために射影仮説を導入した<ref>[http://as2.c.u-tokyo.ac.jp/archive/MathSci469(2002).pdf 清水明「量子測定の原理とその問題点」]</ref>。
射影仮説では、観測行為によって、異なる状態ベクトル間の干渉がなくなり、[[確率解釈]]に従って、そのうちの1つが選ばれて[[可観測量]]が決定される(波動関数の収縮とも呼ばれる)とする。
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射影仮説では、観測行為によって、異なる状態ベクトル間の干渉がなくなり、確率解釈に従って、そのうちの1つが選ばれて[[可観測量]]が決定される(波動関数の収縮とも呼ばれる)とする。
 
しかし、何が「観測」かは明確に定義されていない。
 
しかし、何が「観測」かは明確に定義されていない。
 
=== 原子モデル ===
 
=== 原子モデル ===

2010年2月5日 (金) 20:24時点における最新版

量子力学(りょうしりきがく)は、微視的(素粒子、原子、分子等の非常に小さなスケールの)現象を扱う物理学の理論である。

概要[編集]

最小単位を持ちそれ以上に分割できない物を量子と呼ぶ。 微視的な量子は、一ヶ所に凝縮され克つ最小単位のある粒子的な性質と、空間的な広がりがあり克つ最小単位のない波の性質の、2つの性質を持つ(物質波)を持つことが知られている。 このような性質を説明するために、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとされている(確率解釈、または、確率規則)。

主な歴史[編集]

古くから、光は波か粒子か、の論争があった。 19世紀初頭のトーマス・ヤングによる光の干渉実験により、一時は、光は波であると決着した。 1864年、ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、それまでの電気及び磁気の法則をいくつかの微積分方程式にまとめた(マクスウェルの方程式)。 方程式を解いたマクスウェルは、電磁波の存在を予測し、電磁波の速度も計算した。 その電磁波の速度の計算値は、当時の光の速度の実測値に非常に近いため、マクスウェルは、光も電磁波の一種であると予測した。

1900年、マックス・プランクは、黒体放射の研究から、光のエネルギーに波長とプランク定数で表せる最小単位があることを発見した(プランクの法則)。 1905年、アルベルト・アインシュタインは、光がプランクの法則に従うエネルギーを持つ粒子であると仮定すれば光電効果が上手く説明できるとした(光量子仮説)。 1923年、アーサー・コンプトンが発見したコンプトン効果は、光量子仮説の裏付けとなった。

1924年、ルイ・ド・ブロイは、光量子仮説とは逆に、粒子にも波の性質があるとする仮説(物質波)を発表した。 1927年のクリントン・デイヴィソンらによるニッケル単結晶による電子線の回折実験により、電子に物質波が存在することが証明された。 1926年、エルヴィン・シュレーディンガーは、物質波を表すシュレーディンガー方程式を発表した。 1926年、マックス・ボルンは、波が示す確率分布に従って粒子が観測されるとする確率解釈を発表した。

1927年、ヴェルナー・ハイゼンベルクは、1つの量子について、2つ以上の可観測量を同時に克つ正確に測定することは出来ないとする不確定性原理を発表した。 1932年、ジョン・フォン・ノイマンは、"Mathematical Foundations of Quantum Mechanics"(量子力学の数学的基礎)と題した書籍で、今日の量子力学の数学理論の基礎となる法則を発表した[1]。 ジョン・フォン・ノイマンは、波動関数は複数の異なる状態ベクトルが重なりあった状態で時間発展しているとし、理論と観測結果と整合させるために射影仮説を導入した[2]。 射影仮説では、観測行為によって、異なる状態ベクトル間の干渉がなくなり、確率解釈に従って、そのうちの1つが選ばれて可観測量が決定される(波動関数の収縮とも呼ばれる)とする。 しかし、何が「観測」かは明確に定義されていない。

原子モデル[編集]

1911年、アーネスト・ラザフォードは、ラザフォード散乱により、ジョゼフ・ジョン・トムソン原子モデルが間違っており、原子核の周りを電子が周回するモデルが正しいことを証明した。 しかし、このモデルでは、マクスウェルの方程式により、電磁波を放出して、原子が瞬時に崩壊してしまうとされ、理論と現実の差が問題となった。

1913年、ニールス・ボーアは、水素原子の輝線スペクトルが、ほぼ整数比の飛び飛びの値を持つことに気付いて、このことから、原子中の電子は飛び飛びの軌道を取るとするボーアの量子条件を発表した。 ボーアの量子条件を満たす電子の軌道では、物質波が定常波となり、ボーアの量子条件の強力な裏付けとなった。

隠れた変数理論[編集]

アルベルト・アインシュタインを初めとする著名な物理学者は、特定の量子の特定の時刻における可観測量は、観測が困難なだけであって、決まった値を取るとする隠れた変数理論を主張した。 ジョン・フォン・ノイマンは、自著"Mathematical Foundations of Quantum Mechanics"の中で、隠れた変数理論が不可能であると証明したとされる。 しかし、1952年、デヴィッド・ボームは、フォン・ノイマンの証明を突破した非局所的隠れた変数理論の式[3][4]を発表する。 その後、1967年、コッヘン・シュペッカーの定理[5]により、現在の量子力学に採用されている数学理論では、全ての可観測量に隠れた変数理論を適用できないことが証明された。 これにより、全ての可観測量に決まった値を割り振る隠れた変数理論は、事実上、潰えたとされる。

注釈[編集]

  1. 『量子力学の数学的基礎』 井上健・広重徹・恒藤敏彦訳、みすず書房、1957
  2. 清水明「量子測定の原理とその問題点」
  3. Bohm, David (1952). “A Suggested Interpretation of the Quantum Theory in Terms of "Hidden Variables" I”. Physical Review 85: 166–179. DOI: 10.1103/PhysRev.85.166.
  4. Bohm, David (1952). “A Suggested Interpretation of the Quantum Theory in Terms of "Hidden Variables", II”. Physical Review 85: 180–193. DOI: 10.1103/PhysRev.85.180.
  5. S. Kochen and E.P. Specker, "The problem of hidden variables in quantum mechanics", Journal of Mathematics and Mechanics 17, 59-87 (1967).

関連項目[編集]