免田事件

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免田栄(2007年 パリ。写真は第3回死刑廃止世界会議に参加した時のもの)

免田事件(めんだじけん)とは1948年に起こった冤罪事件。四大死刑冤罪事件の一つである。

概要[編集]

1948年12月30日午前3時頃、熊本県人吉市で祈祷師夫婦(76歳男性・52歳女性)が殺害され、娘二人(14歳と12歳)が重傷を負わされ、現金が盗まれた。現場検証から犯行時刻は12月29日深夜から翌12月30日午前3時の間とされた。翌1949年1月13日、警察は熊本県球磨郡免田町(現:あさぎり町)在住の免田栄(当時23歳)を、玄米を盗んだ罪で別件逮捕し、同月16日には殺人容疑で再逮捕した。この3日間余りの間、警察は免田に拷問と脅迫を加え、自白を強要していた。同月28日に強盗殺人罪で起訴。免田は第一審の第三回公判で自白は拷問で強要されたものであり、事件当日には特殊飲食店の女性と遊興しておりアリバイがあるとして無罪を主張。

警察はアリバイの捜査を行うが、アリバイ証人に対し「一緒にいたのが翌日」というように証言を誘導させた。また、検察は証拠品である凶器の鉈、免田が犯行時に着ていて血痕が付着していたとされる法被・マフラー・ズボンなどを廃棄するという証拠隠滅とも思える行動をとっている。

判決[編集]

1950年3月23日、熊本地裁八代支部は死刑判決を言い渡す。免田は控訴するが1951年3月19日に福岡高裁で控訴が棄却される。更に免田は上告するが、1951年12月25日に最高裁で上告が棄却され、死刑が確定した(正式確定日は1952年1月5日)。

再審[編集]

1968年、国会に死刑囚に対する再審特例法案が提出されるも翌年の1969年に廃案。その代わり、当時の法務大臣である西郷吉之助が、GHQ占領下で起訴された死刑確定事件6件7名に対して特別恩赦の検討を約束。免田氏も特別恩赦が検討されたが実現せず。

免田は再審請求を行うが、第5次請求まで全て棄却された(第3次請求は地裁では再審の開始が決定されたものの、検察の即時抗告により高裁で取り消された)。そして第6次再審請求が承認され、1979年9月27日に再審が開始される。

再審ではアリバイを証明する明確な証拠が提示されたこと、検察側の主張する逃走経路に不自然な点が見受けられたことなどが指摘され、1983年7月15日、発生から34年6ヶ月後、無罪判決が言い渡された。

刑事補償法に基づき、死刑確定判決から31年7ヶ月の拘禁日数12,559日に対して免田に9,071万2,800円の補償金が支払われた。

その後[編集]

無罪が確定されたにもかかわらず、その後の免田に対する批判が続いた。当時としてはけた違いの多額の補償金を何に使ったとか、出所後の行動(女性関係など)を週刊誌が報道したりした。

また落語家立川談志がラジオ番組において「ぜったいやってないわけないんだよね」と話し、後に謝罪する事件が起きた。

2007年9月27日放送の「午後は○○おもいッきりテレビ」内の「きょうは何の日」のコーナーで、現在の免田のインタビューが放送された。

週刊朝日など数社の週刊誌に、「あの人は今」のようなコーナーで写真つきインタビューが掲載された。刑事補償金の半額以上を弁護団や支援団体に謝礼として渡したこと、拘置所にいた間は年金に加入できず現在も年金は受け取っていない状態であること、無罪確定後に結婚した妻と2人で細々と暮らしていること、ほぼ毎日釣りに出かけていること、無罪確定から数十年を経た現在も社会には偏見があり、なかなか一般の人との付き合いは難しいことなどを語っている。これは地元では特に根強く、公共の場で冤罪であると発言することすらはばかられる事もある。なお、免田は拘置所から出所後、いったん地元に帰ってきて歓迎されたが、真犯人が不明なことや巨額の補償金を受け取ったことなどで、地元で平穏に暮らせず、他の市に引っ越した。

ある死刑廃止運動の会合で免田は佐木隆三に出会う。佐木の著書「曠野へ―死刑囚の手記から」に登場した実在の死刑囚、川辺敏幸と同じ拘置所だったこと、さまざまな死刑確定囚を見てきたが、川辺ほど竹を割ったような性格の男はいなかったことなど発言している。また川辺も佐木に、拘置所のソフトボール大会で免田と楽しんだ思い出を語っていた。

免田は複数の著書を出版しており、それらの中で自身の体験をつづるとともに、死刑制度の廃止を主張している。現在は人権の大切さを訴える講演を全国各地で行っている。2001年には、フランスのストラスブールで行われた第1回死刑廃止世界会議に参加した。また、2007年には国際連合本部(ニューヨーク)で行われたパネルディスカッションにおいて自らの主張を訴えた。

2009年5月に免田は、死刑囚として拘置されていた間、国民年金受給の機会を失ったとして、総務省に対し、年金受給資格の回復を求め、申し立てを行なうことになった[1]

関連書籍[編集]

免田栄によるもの[編集]

  • 免田栄獄中記(社会思想社、1984年)
  • 私の体験にもとづく冤罪論・死刑廃止論(いのせんと舎、1993年)
  • 死刑囚の手記(イーストプレス、1994年)
  • 死刑囚の告白(イーストプレス、1996年)
  • 免田栄獄中ノート(インパクト出版会、2004年)

免田以外によるもの[編集]

  • 真蔦栄『私はアリバイのある死刑囚』(汐文社、1980年)
  • 東京三弁護士会合同代用監獄調査委員会編『ぬれぎぬ』(青峰社、1984年) - 免田も含め30人の冤罪者の証言を収録。
  • 熊本日日新聞社(著)『検証免田事件』(日本評論社、1984年) - 増補として『冤罪免田事件』(新風舎、2004年)
  • 潮谷総一郎『死刑囚34年』(イーストプレス、1994年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

四大死刑冤罪事件