尼崎児童暴行事件

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尼崎児童暴行事件とは、2006年11月に発生した兵庫県尼崎市の小学4年生の男子児童が主犯格となり、同級生の女子児童に対し、性的いじめを加えた事件である。

事件概要[編集]

事件が起こったのは2006年11月半ばのこと。兵庫県尼崎市の市立小学校に通う4年生の佐藤よしこちゃん(当時10歳・仮名)は、同級生男児に「遊びに行こう」と誘われて同級生の自転車の後ろに乗った。

よしこちゃんはボーイッシュで、日頃から男の子顔負けの活発な女の子だ。行き先は告げられなかったが、着いた場所はその同級生の家ではなく、同じ4年生の鈴木健人君(当時10歳)の家だった。健人君の家は市営住宅の4階にある。両親は共働きで、健人君は4人兄弟の2番目だ。

「健人君は、10歳にしては身体ががっちりしている。剣道もやっていて、父親と一緒に道場に通ったりしていますよ」(近所の住人)

3人は、健人君の家でひとしきりTVゲームに興じた。やがて健人君は立ち上がって、よしこちゃんを隣の部屋に連れて行った。ベッドのある部屋だった。

「ズボンとパンツを脱いで」

健人君は、強い口調でよしこちゃんに向かって、そう言った。「・・・。」恐くなったよしこちゃんは、上半身はそのままで、ズボンとパンツだけ脱いだ。あらわになった下半身を触ったり、舐めたり、指を入れたりした健人君は、「絶対、親に言うなよ。言うたら、しばくぞ」と口止めして、よしこちゃんを家に帰したのである。

それから1週間後。下校時に、よしこちゃんは健人君から足を蹴られ、石を投げられたりした。どうやらこれは、「親に言うたら、しばくぞ」という健人君のデモンストレーションだったらしい。だが、これが逆効果になる。よしこちゃんは、石を投げつけられたことを担任の先生に報告し、さらには親しい女友達に、自分が健人君にされたことを話すのである。

12月8日、保護者面談の時、よしこちゃんから打ち明けられた友だちの母親が、先生にこのことを伝えた。事件から3週間近く経って、コトが初めて露見したのだ。「すぐに来てほしい」よしこちゃんの母親、玲子さん(仮名)が、学校から連絡を受けたのは12月11日午前中のことだった。

玲子さんが言う。

「校長室で、担任の先生から話を聞かされました。娘にそんなことが起きていたとは全然知りませんでした。うちは主人を早くに亡くし、私一人が子供を育てている母子家庭ですから、よしこも私を悩ませるようなことはしないし、言いません。あの子がどんなに苦しい思いで黙っていたんだろうと思うと、涙が止まりませんでした・・・」

だが、一方の健人君は、先生の聴取に、「僕はやってない」と主張。夕方、健人君の父親も呼び出されたが、その場でも、健人君は「行為」を否定した。父子は一旦帰宅。だが、夜、父親から「息子が認めた」旨の電話が学校に入った。

そして、健人君は先生の問いに、「AVと同じことをしてみたかった」と、その理由を語った。しかし、市の教育委員会を巻き込んでからの経過は、奇妙なものだった。

翌12日、玲子さんが学校に問い合わせると、学校は市教委へ連絡も入れていなかった。不審に思った玲子さんは警察に相談する。対応した少年課は、「うちから児童相談所に連絡してもいいが、(当事者の)歳が歳なので、学校から児童相談所に連絡を入れてもらった方がいい」とアドバイスした。

この日の夕方、鈴木家と佐藤家は初めて校長室で対面する。玲子さんによれば、「校長室には、健人君とお母さんしかいなかったので、『なぜお父さんがいないんですか?』と聞いたんです。するとお母さんが慌てて連絡を取り、40~50分後にお父さんも到着して、話し合いが始まりました。お父さんは、校長室に入る前に私に軽く会釈して、『すんません』というだけで反省している様子もありませんでした。お母さんは、『申し訳ありません』と号泣していました。健人君本人もお父さんも、なんだか上の空のような感じだったんです。」

玲子さんはその態度に、だんだん腹が立ってくる。

「私は、『主人は死んだけど、もし息子がそういうことしたら、土下座すると思いますよ。お宅には、娘さんがいないんですか』と聞いたのです。すると『います』と言う。私が『もし、同じような目に遭ったらどうしますか?』と聞くと、お父さんは『殺します』と言いました。だったら反省したらどうか、と思うのですが、そういう素振りすら見せません。私は、『あなたたちと同じ街に住んでいることはイヤです』と言いました。つまり、この街から出て行ってほしい、と。お母さんは、『すぐは無理ですけど、そうします』と言いました。お父さんは黙ったままでした」

2日後、校長室で再び両家は対面した。ソファに座るなり、健人君の母親が、「今は、これしかできません」と、封筒を差し出した。「これはなんですか?こんなもの受け取れません」と玲子さんが言うと、いきなりお父さんが、「出る所に出てください」と言い出した。「わたしは意味がわからなかったのですが、それは、裁判に訴えてもらい、その結果に従うという意味でした。こちらはコトを荒立てる気はないのに、先方は『出る所に出てください』と言うばかりでした」すると立ち会っていた先生が玲子さんに向かって、「お母さんは、どうしたいのですか?」と、言う。玲子さんは、「(先方に)引っ越してもらいたいのです。もしそれが無理なら、私の方が引っ越します。ただし、引越し費用は出してください」と、答えた。「引越しと言っても、具体的に金額がわからないと用意できませんよ」と先生がさらに聞くと、「では、敷金や礼金、引越し費用などで、150万円もあればお釣りが出るんじゃないですか」と、玲子さん。だが、健人君の母親は、「うちにできるのはこれが精一杯です。借金だらけで、お金がないんです」と言うばかりだった。引越しをどうすればいいのか、両家の話し合いは平行線のまま終わった。

だが、2日後にかかって来た一本の電話から事態は急転する。

健人君の母親が、「女同士でお話がしたい」と、玲子さんをファミレスに呼び出すのだ。「主人があんなことを言ったのは、以前、バイクで事故を起こし、ヤクザに脅された経験があるので、またお金を脅し取られるのではないか、と思ったからなんです。申し訳ありません」と、母親は言ったという。

「健人君がこんなことをしたのにも、親の責任がある。子供をいい方向に導いてあげるのは親の役目です。何とかしてあげて下さい」玲子さんがそう答えると、

「私たちのせいで、引っ越さなければならないなんて、本当に申し訳ありません」と健人君の母親。

そんなやりとりの中、引越し費用を鈴木家が負担することが決まり、お互い「ありがとう」と言いながら別れるのである。だが、玲子さんは翌々日、「あんまりひどいことを言わない方がいいですよ」と警察から電話を受け、仰天する。なんと健人君の父親が「妻が恐喝された」と警察に訴えたのである。玲子さんが言う。

「『(現金の入った封筒を)受け取ったでしょう?』と警察が言うんです。私が何も受け取っていません、と言うと警察は驚いたようでした。事情を話したら、すぐわかってもらえましたが、私のほうも驚きでした。あまりにひどすぎます」

その日の夕方、玲子さんは校長室で健人君の父親と向かい合った。「女房は怖くて夜も歩けない、と言っている」と、父親。玲子さんは、あまりの言い草に席を立とうとしたが、「子どもに手を出したら、ただではすまんぞ」と、再び父親が言い放ったという。

「これを最後に、鈴木家からは何の連絡もありません。娘は、夜中急に泣き出したり、精神的につらい思いをしました。でも、頼んでもカウンセラーも着けてくれず、引越しもできず、何ヶ月経っても市教委も学校も何もしてくれません。それどころか市教委に問い合わせると、娘に問題があったというようなことまで言われました」(玲子さん)

2人は小5になり、今も同じ学校に通っている。3月末、これが夕刊紙に掲載され、やっと表沙汰になる。が、その後も鈴木家では、「お答えすることは何もありません」(健人君の母親)と、一切の取材を拒んでいる。

市教委は、「女児側にも問題がある、というニュアンスのことを申し上げたのは事実ですが、男児の行為の原因を作ったという意味ではなく、女児が幼いためか、服を脱ぐことに対して、あまりに無意識なのでは、という意味でした。学校から男児が強く『脱げ』と言ったとは報告を受けてなかったものですから・・・。言葉の選び方が悪かったかもしれず、訂正させて頂きたく思います」

また、校長はこう語る。

「細かいニュアンスが市教委に報告しきれていなかった面があるかもしれません。また女児に対して、お母さんが望むようなケアを行ってこなかったのも反省すべきことかもしれません。今後の対応はこれを踏まえて検討したいと思います」

マスコミの知るところとなり、慌てて反省の素振りを見せた。玲子さんが憤る。

「学校も市教委も、怒りを通り越して呆れてしまいます。尼崎の住人であることをこれほど虚しく思ったことはありません。被害者なのに、一体なぜこれほど苦しまなければならないのか。こんなに悔しくて虚しい体験は初めてです。今は、訴訟も考えています・・・」

見事なまでの隠蔽体質と事なかれ主義。いじめに限らず、日本の教育現場ではいつも被害者が泣き寝入りしなければならないらしい。教育評論家の尾木直樹氏がいう。

「誰だって子どもは可愛い。その子どもが猥褻なことをされたら、誰だって加害者と同じ学校に通わせたくないと思うでしょう。それは親として当然です。が、現実にはそれで学校を替えたり引っ越したりしたら、キリがない。親の気持ちは正しいが、それを乗り越えるにはどうしたらいいかを学校も市教委も一丸となって考えなくてはいけないんです。しかし、それができない上に『被害者の娘も悪い』などというのは言語道断。学校も怠慢だし、市教委もそのテイを成していません。公務員として失格ですね」

残念だが、これが日本の教育者の偽らざるレベルなのである。

さらに、週刊実話5月3日号によれば、加害男児ら複数の児童は事件後も相変わらず被害女児への集団性的暴行を繰り返した模様である。

報道など[編集]

こういった事件に毎度の如く見られる報道統制(実際には小学生による性的暴行事件は大量に起こっており、2005年の犯罪データでは13歳以下の強姦犯は11人で強制猥褻犯は116人であった)により、この事件も騒がれずに終わるものと思われた。しかし、この事件を知った週刊新潮や夕刊フジが翌2007年3月から4月にかけ記事にする。この事件では事件後の周囲の対応に問題があり、被害者側が一方的に泣き寝入りせざるを得ない様子が報道された。

丁度『ムーブ!』の報道で居合わせていた橋下徹弁護士(当時)はこの事件に対し「同意があったかどうかを確かめるべき」という発言をした。

ネット上で、この事件をInfoseekの検索キーワードランキングに掲載する事で事件の認知度を上げようとする動きがおこったが、Infoseekは2007年4月24日~4月30日集計の5月3日掲載分を休載としたため、キーワードランキングには掲載されなかった。

出典[編集]

  • 週刊新潮4月19日号(朝日放送「ムーブ!」でも放送)
  • インターネットニュースサイトZAKZAK 3月27日配信「AVと同じことしたかった…小4男児が同級生を暴行」[1]

関連項目[編集]