岡崎律子暗殺事件

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岡崎律子暗殺事件
戦争
年月日:2009年5月4日
場所: キングレコード
結果: VC事業部のスターチャイルドに対する優位が確定
交戦勢力
スターチャイルド VC事業部
指揮官
大月俊倫 三嶋章夫
戦力
 堀江由衣・松浦有希(両名はのちに寝返り)   水樹奈々・茅原実里
損害
岡崎律子の処刑 なし

岡崎律子暗殺事件(おかざきりつこあんさつじけん)は2004年5月5日に発生した作曲家の岡崎律子がキングレコードの内部抗争の末に暗殺された事件。岡崎は公式には敗血症性ショック死とされているが、彼女の死に至る詳細は公表されておらず、死因に関しては数多くの謎が残されている。

事件までの流れ[編集]

キングの構造的欠陥[編集]

キングレコードは社員数230名余と中小企業に分類される規模であるにも関わらず、多くの事業部が乱立しその間の風通しはきわめて悪く、類似の企画を複数の事業部が別個に進めるなど、組織面での問題が多かった。このため、折からの業界を覆った不況(とりわけ主力の演歌市場の縮小)もあって1990年代以降は毎年10億円以上の欠損が常態化していた。


岡崎派vs三嶋派[編集]

2003年年初ごろより、キングレコード内部では岡崎律子、堀江由衣らの鳩派と、矢吹俊郎、水樹奈々らの鷹派の路線対立が表面化してきた。これはのちにキングレコード500日抗争といわれることになる

大月裁定[編集]

ランティス内通疑惑[編集]

8億円横領 [編集]

自身や親族の借金を返済するために岡崎が、8億円余をキングレコードから横領し、2004年3月期の決算でこのことが明るみに出たために社内は大騒動となった。こときは大月の意向で隠密に処理することとされ、決算書を改竄することで事実と異なる決算発表を実施した。これとの整合性をもたせるため、これ以降2012年までキングレコードは実態と懸け離れた決算発表を続けている。

滝沢会談[編集]

2004年4月26日。事案の関係者たちが、新宿の談話室・滝沢(閉店)に極秘に集まり、岡崎の処遇について話し合った。この席で堀江などスタチャ系の出席者は追放にとどるべきだと主張したのに対し、水樹などVC事業部系の出席者はあくまで殺害することを主張した。最終的な採決は7対7の同数となり、座長の大月は判断を逡巡していたが、最終的には、堀江も処刑容認に回ったことで、VC事業部側が押し切る格好で「ポアもやむなし」との結論がされた。

暗殺の実行[編集]

ヒットマン探し[編集]

暗殺の決行日は5月3日とされた。暗殺そのものは水樹の主導で進められたが、自身が手を下して的確に殺害し事件を闇に葬り去ることに自信が持てなかった水樹は適当なヒットマンを探していた。その結果、当時毎週のように秋葉原で路上ライブを行っていた茅原実里に対し、「岡崎の暗殺に成功すればキングレコードからの歌手デビューを保証」という条件を提示し、茅原もこれを受け入れた。当時の茅原は生活に困窮しており、秋葉原のゲーマーズやとらのあなでDVDやCDを万引きし、これを裏通りの店舗(買い取り時の身分確認がほとんどされないため)に持ち込んで換金することで生活費を得ていた。また先の見えない生活への気を紛らわすためにシンナーを常用しており、秋葉原の一部店舗では容易に購入できたことからこの地を路上ライブの場所として選んでいた。 茅原がVC事業部からの提案を喜んで受け入れたことで、暗殺計画は一気に具体化していく。

決行の日[編集]

何度も命乞いをする岡崎に対して、茅原は数十回に渡り千枚通しで岡崎の頸部を突き刺し岡崎は絶命した。

事件後[編集]

  • これによってキングレコード内部におけるVC事業部の優位が確定し、同年秋に初のVC事業部主導作品、魔法少女リリカルなのはが制作された。
  • 堀江はこの事件以降、岡崎の曲をラジオ番組で一切紹介しないので、事件のことを無視する姿勢を貫いている。
  • 「密約」に基づき茅原はキングから歌手デビューを果たし、12月に1stアルバム『HEROINE』をリリースしたが、売上は全く不振であったもあり、この1作を以てキングはら追放された。
  • スターチャイルド側は財源確保のために、未完成であった岡崎のアルバム『for RITZ』を12月に発売した。


 死後の扱い[編集]

2006年12月18日、岡崎の遺族が水樹に対して1億7千800万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に提訴した。