非武装中立

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非武装中立(ひぶそうちゅうりつ)とは、国家や集団などの安全保障の考え方の1つであり、自衛を含めた軍備を放棄して、中立主義を行うものである。

概要[編集]

非武装中立には、戦時のみのものや、平時を含むものが考えられる。通常は、平時を含めて自衛戦争のための常備軍も廃止し、特定の軍事同盟にも加盟しないものとされる場合が多い。

非武装中立の思想は、平和主義や、ガンディーキング牧師などの非暴力主義、あるいは国際社会への信頼などに基づき、それを国家レベルや平時にも拡大したものとも言える。

非武装中立政策は、世界的にはヨーロッパの小国などで採用された例があるが、一時的または限定的にとどまっている。日本では第二次世界大戦の反省と、戦後の日本国憲法第9条東西冷戦の関連もあり、日本社会党などにより主張された。

なお非武装中立とは国家レベルの政策であり、必ずしも国家レベル以外の軍備や自衛戦争を全て否定するものとは限らない。国際連合憲章では、国際の平和と安全を維持または回復するために、常設および非常設の国連軍を認めており、仮に侵攻を受けた場合に非暴力の抵抗を続けながら国連軍の救援を待つ事は考えられる。ただし2011年現在でも常設の国連軍は組織された事が無い(このため自衛隊の指揮権を国連に移管し、常設の国連軍とする意見も存在する。ただしその場合は、任務が日本防衛のみとなるとは限らない)。また国連軍は安保理常任理事国拒否権を発動すれば行動できないため、仮に常任理事国自身や常任理事国が支持する国から侵攻を受けた場合には、事実上期待できない。

また、軍備の有無にかかわらず国家の自衛権自体は国際法上存在しているため、侵攻を受けた以後に民兵義勇軍を組織することも考えられる。ただし急造の武装組織の近代戦での有効性は疑問であり、日本国憲法においても何ら規定されておらず、捕虜などの戦時国際法上の保護も課題となる。

世界[編集]

軍隊を保有していない国家の一覧も参照

非武装中立論は、ヨーロッパでも社会防衛論として、軍事による国土防衛を放棄し、自国が外国軍隊によって占領されたとしても、他の手段(デモ座り込みボイコット、非協力等)によって他国からの領土支配を拒絶するとする政策論が存在する。ただしそれを継続的に実行・実現している国は、現在は存在していない。

ルクセンブルク1867年の建国時より、非武装政策の永世中立国であったが、第一次世界大戦第二次世界大戦ではドイツフランスへのより安全な侵攻ルートを確保するため、シュリーフェン・プラン及びマンシュタイン・プランに基づいてルクセンブルクとベルギーの中立を一方的に侵犯して両国を武力占領した。このためルクセンブルクは、第二次世界大戦後の1949年NATOに加盟し、永世中立および非武装政策を放棄した。

現在、非武装中立を行っている国にはコスタリカがよく挙げられる。ただしコスタリカは常備軍の設置を禁止しているだけで、非常事態には徴兵制を敷き軍隊を組織することができる。コスタリカ共和国憲法第12条には「大陸間協定により若しくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。」としている。また国家警備隊及び地方警備隊が、重火器等を保持し、隣国ニカラグアの軍事費の三倍(2005年 日本外務省のデータ)を得ているなど、事実上の国防軍となっており、純粋な非武装とは呼びがたい。また中立という面では、安全保障をアメリカ合衆国に依存しており、さらに米州機構のメンバーでもあり、1965年に起きたドミニカ内戦の際には米州平和維持軍の一員としてドミニカ共和国の立憲派政権を転覆させるために、ラテンアメリカの反共国家の軍隊と共に武装警察を派兵したこともある。このような事情から、国際的には中立国として認められない。

2011年現在、政権与党として非武装中立を掲げる政党としてはキプロス共和国労働人民進歩党があるが、同党の非武装中立の理念は現在のところ実効化はしておらず、キプロス共和国の国軍であるキプロス国家防衛隊は未だに健在である。

日本[編集]

日本の非武装中立論者は日本国憲法の前文と第9条を根拠に自衛隊在日米軍が憲法違反だと主張している。そして日本の安全保障政策として、自衛隊の廃止、在日米軍を肯定する日米安全保障条約の廃止を主張している。現在の日本の政党では護憲(自衛隊違憲)・非武装を党是としている社民党がある。また護憲団体として「9条の会」「9条ネット」がおり、日本国憲法9条の理念を国際的に広める活動をしており、現時点では自衛隊などの防衛力を容認しつつ最終的には軍備の永久放棄を視野に入れている。

非武装中立論者には護憲派が多く、自衛隊や在日米軍の存在を明白に肯定するための第9条の改憲に強く反対している。かつて、1979年森嶋通夫LSE教授(当時)が独自の理論による非武装中立論を発表し、翌1980年には、日本社会党石橋政嗣委員長(当時)も自著の中で「非武装中立論」を展開した。

終戦後の米国の対日戦略は、当初は「日本を中立・非武装化して中国をアジアの拠点とする」であり、日本を「反共の砦」と位置づけ再軍備を認めたのは冷戦後のいわゆる「逆コース」である。

第9条改定反対派のすべてが非武装中立論の立場に立っているわけではなく、例えば河野洋平など自民党内の護憲派は、自衛隊の存在は容認している。

また、日本共産党新左翼各派は、現状の自衛隊や在日米軍には反対だが、国家政策として非武装を提唱した事は無い。特に日本共産党は、1946年の日本人民共和国憲法草案でも侵略戦争は不支持としているが、これは不戦条約と同等であり、戦争や軍備自体を否定した条項は無い。また日本国憲法制定時の採決では「自衛戦争の否定」などに反対し、反対票を投じている。

2009年内閣府が実施した調査によれば、「日米安全保障条約をやめて、自衛隊も縮小または廃止すべき」とした回答者は全体の4.2%だった。

反対意見[編集]

非武装中立に対する、次のような批判や指摘がある。

  • 戦争当事国の相手方が自国の領域へ侵入することを、武器による抵抗をせずに受け入れることは、戦争当事国の一方(すなわち敵側)だけに加担することになり、これは中立とはいえない。よって、自国が戦争に巻き込まれないために、あるいは利用されないために、国際法的な観点から国土防衛の法的義務が課されていると解され、これは当然に軍事防衛を前提としているものである。
  • そもそも、戦争当事国の一方に領土、領海、領空の通行を許可することは、もう一方の当事国に対する戦争行為にあたる。たとえば、アメリカアフガニスタンに空爆したとき、パキスタンは領空の通過を許可した。このパキスタンの行為は、パキスタン軍自体がアフガンニスタンに直接攻撃せずとも、アフガニスタンに対する戦争行為にあたる。非武装下で、戦争当事国一方が軍通行の要求を出してきた場合、拒否できなくなるため、以上の理由から国際法上、中立を保つことは不可能である。したがって、地上では非武装中立は無意味な主張である。
  • 社会防衛論を現実に実行するにさいしては、国民による不断の努力が求められるが、占領軍による逮捕拷問、処刑、密告勧奨などの恐怖支配によって、領土支配拒絶運動が分断化されたり沈静化されてしまって失敗する恐れがある。結論的には、社会防衛論による戦争への抑止効果は、一般的な軍事力による抑止効果と比較して極めて微弱であるとされ、なんら戦争回避の効果的な手段となり得ない。
  • 国際社会における外交は、経済力、軍事力など、国家の総合力を背景に行われるものであり、軍事的空白を自ら生み出すことは、紛争を招き国際的な安全すら危険に晒すことになる。日高義樹のワシントン・リポートでのインタビューに応じたアメリカ海軍の士官は「歴史的に見れば軍事的な空白が生まれたところに紛争が生じている」とコメントし、勢力均衡の維持が平和につながるとしている。歴史上の例では、第二次世界大戦により旧大日本帝国支配地域が空白地となったことから、その地域をめぐる米ソの衝突が引き起こされ、朝鮮戦争ベトナム戦争につながっている。

なお、戦後日本の非武装中立論の形成に大きな役割を果たした、社会党左派系の社会主義協会に属した山川均の非武装中立論は、永世非武装国家を志向したものではなかった。山川は日本が復興する間の非武装を説いただけで、ソ連の脅威を十分に認識した上での将来的な武装を認めていた。軍備偏重であった戦前の社会を反省し、社会資本を復興に集中するねらいがあったとみられている。また、社会主義協会の代表で社会党顧問であった向坂逸郎1977年に『諸君!』(1977年7月号)のインタビューで、「日本が社会主義国家になれば、帝国主義と戦い社会主義を守るために軍備を持つのは当然」と語っている。向坂の主張は理論上は自然なもので、党の看板政策を「政権を取るまでの方便」同然とみなした発言にもかかわらず向坂は社会党から何の処分も受けていない。

脚注[編集]


参考文献[編集]

関連項目[編集]