JET STREAM

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JET STREAM』(ジェット・ストリーム)は、TOKYO FMをキー局にJFN38局で放送されているイージーリスニングの音楽番組である。

遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。
日本航空があなたにお送りする音楽の定期便ジェットストリーム
皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、城達也です

概要[編集]

1967年7月3日に、東海大学のFM試験放送局FM東海にて放送を開始。1970年4月からは、FM東海を引き継いで同月開局したエフエム東京(TOKYO FM)に移って放送を続け、2004年11月25日に放送1万回、2007年7月3日に放送40周年を迎えた。同局およびJFNにおける最長寿番組として、現在も記録を更新している。

開始当初から長らく日本航空一社提供番組であった。ただし、2010年6月の火曜・木曜・金曜の深夜に限り、流通大手のイオンを加えた二社提供であった。また、2011年1月 - 4月にかけては、日本医師会およびSONOKOがJALとともに共同で提供を行った。2012年10月からはJAL・セイコーの共同提供になっている。そういった経緯から演出面等においてのみならず、後述のとおりJALと深い関わりを持つ番組である。

現在のパーソナリティ(当番組では機長と称する。後述も参照)は俳優の大沢たかお。スクリプトは放送作家堀内茂男

オープニング曲にフランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの『ミスター・ロンリー』を使用していることでも知られる。エンディング曲は『夢幻飛行』だったが、初代パーソナリティ・城達也の降板と共に使われなくなった(現在はオープニング、エンディングとも溝口肇編曲・演奏の「ミスター・ロンリー」を使用)。ただし初代機長城達也時代末期の金曜日版「Midnight Odyssey(ミッドナイト・オデッセイ)」はテーマ曲が異なり、スクリプトも原田宗典が担当していた。

FMぐんまradio CUBE FM三重では、開局時から1994年3月までは『FMナイトストリート』をネットしていたため未ネット。さらに、radio CUBEでは、別番組放送のために金曜日のみ未ネットだった時期があった。また、FM-FUJIはJFN加盟局時代、この番組を一度もネットしたことがない(ローカル番組→『FMナイトストリート』)。

番組の放送開始が午前0時(=日付の変わった直後)であることから、一部ネット局では開局またはJFN加盟後の最初の番組が当番組だった(FM沖縄エフエム鹿児島Kiss-FM KOBE等)。

日本航空との関わり[編集]

後藤亘(ごとう・わたる、当時FM東海職員で現在エフエム東京会長)らが、旅愁を感じさせる番組作りを目指して企画。企画段階では10分番組の予定であったが、日本航空が気に入り、スポンサーとなった。これは、当時の日本航空宣伝課長がアメリカへ勤務した際に、航空会社提供の深夜のラジオ番組を聴いて、日本航空でも同様の番組をやりたいと考えていたことがあり、両者の意向が一致したことによる。

日本航空のこの番組に対する思い入れは深く、海外旅行が夢だった時代に海外へ思いを馳せる貴重な番組として位置付けられていた。そのため、番組中では世界中の国や都市の紹介を行い、それらの国、都市へジャルパックで行くにはどれだけの費用を要する、という広告的な紹介が多く、さらに日本航空が通常流しているラジオ広告を番組の終了後に流していた。番組内で広告的な紹介を行なうことは当時として斬新であり、初代パーソナリティの城達也時代でこの斬新さを懐かしみ、今でもこの時代の番組編成に対し根強いファンがいる。

日本航空の経営が悪化した時期に大胆な広告費歳出削減を行う状況においても、『JET STREAM』の単独スポンサーだけは長年にわたり続けられていた。ただし2010年1月19日に日本航空が会社更生法の申請を行い事実上倒産した時は、コスト削減から単独提供をいったん断念し、同年6月の火・木・金曜深夜の放送分に限り、業務提携を行っている流通大手のイオンとの2社共同スポンサー体制をとっていた。

機長、もしくはフライトアテンダント[編集]

この番組ではパーソナリティを、機長またはフライトアテンダントと呼んでいる。歴代パーソナリティと在任期間は以下の通りである。

  • 初代城達也1967年7月 - 1994年12月
    • 城はこの番組のパーソナリティを降板した直後の1995年に他界。
    • 番組中のコーナーは「私のレコードアルバム」(のち「ステイ・ゴールド」)。コーナー到来のお知らせも機内放送風になされていた。
    • エンディングの挨拶は「ではまた明日、午前零時に(金曜日は“来週のこの時間に”)お会いしましょう」。
    • 最終出演回ではそれまで決して口にする事がなかった「さようなら」という別れの言葉で番組を終了、これがパーソナリティ城達也最期の言葉ともなった。
    • 公式記録としては放送開始から降板するまでの27年以上7387回の間一度も休んだことがないことになっているが、1000回直前の頃に代打として同局のアナウンサー田中穂蓄が放送を行った。
  • 二代目小野田英一1995年1月 - 2000年3月
    • 城は同じ事務所の先輩。『ラジオライブラリー「新・人間革命」』(文化放送)とともに事務所の先輩から後輩へ引き継がれた形となった。
    • エンディングの挨拶は「ではまた明日の(金曜日は“来週○曜日の”)、午前零時に、このラウンジでお会いいたしましょう」。
    • 降板した2000年、三才ブックス発行の「ラジオ番組表」の読者コーナーにおいて、降板を惜しむ投稿が掲載された。
  • 三代目森田真奈美(2000年4月 - 2002年9月
    • 機長ではなく、フライトアテンダントの設定でパーソナリティを担当。また「乗客」としてゲストを迎え、世界中の国や都市をテーマにトークを展開した。
    • この間は『LOVE SOUNDS ON JET STREAM』(ラブサウンズオンジェットストリーム)というタイトルで放送していた。
    • この頃にはラジオショッピングもあったことが、上記の「ラジオ番組表」掲載の番組欄で確認できる。
    • しかし、当時大幅に変わった番組構成に対して、一部から疑問の声が上がっていたのも事実で、伊武雅刀に交代した際には城達也が担当していた当時のスタイルに戻されることとなった。
  • 四代目伊武雅刀(2002年10月 - 2009年3月)
    • タイトルが『JET STREAM』(ジェット・ストリーム)に戻される。
    • 当初はCM入り時間の変更や、1週間通しの企画でラジオドラマを放送するなど試行錯誤が行なわれたが、その後は安定した人気を得る。城・初代機長のスタイルを踏襲した語りは、好評を持って迎えられていた。
    • 番組中のコーナーは「サウンド・グラフィティ」。
    • 伊武は当番組担当前にスネークマンショーにおいて、「JET STREAM」のパロディ「JET STRIP」のパーソナリティ「欲情達也」を演じた経験がある。
  • 五代目大沢たかお(2009年4月 - )
    • 番組中のコーナー「サウンド・グラフィティ」をはじめ、構成は伊武時代を引き継いでいる。
    • 大沢は、番組のオファーを引き受けた当初は嬉しかったが、開始が近づくにつれて「城さんや伊武さんの路線を忠実に引き継げるだろうか」と不安で仕方がなく、撤回しようかとまで思い詰めたこともあったという。

ソフト[編集]

初代機長の城達也時代のものを中心にカセットテープ化やLPレコード化、およびCD化されたものや、映像化(VHS化、LD化、DVD化、ブルーレイディスク化)されたものが残されている。 ユニバーサルミュージックから販売されるDVDおよびブルーレイディスクのソフトは、通販番組『音楽のある風景』で紹介された。

歴代オープニング・エンディング[編集]

初代(城達也時代)

二代目(小野田英一時代)

  • オープニング
    • 「ジェットストリーム〜アイ・ウイッシュ」(中村由利子
    • 「Here, there And Everywhere」(The Beatles
  • エンディング
    • 「ジェットストリーム〜アイ・ウイッシュ」(中村由利子)
    • 「トワイライト・ウィンズ」(中村由利子)

三代目(森田真奈美時代)

  • オープニング & エンディング
    • 「ミスター・ロンリー」

※オープニングとエンディングは共通で、ピアノやギターの音色でアレンジされたものであった。

四代目・五代目(伊武雅刀・大沢たかお時代)

  • オープニング
    • 「ミスター・ロンリー(オープニングバージョン)」(溝口肇
  • エンディング
    • 「ミスター・ロンリー(エンディングバージョン)」(溝口肇)

年表[編集]

  • 1967年7月3日 - FM東海にて、番組スタート。パーソナリティは城達也。スクリプトは伊藤酒造雄。放送時間は月曜日から土曜日の深夜0時から1時(後に土曜深夜廃止 → 0時55分終了となる)。
  • 1970年4月27日 - ここからエフエム東京で放送。スクリプトを堀内茂男に交代。
  • 1970年9月10日- 放送1,000回。
  • 1980年3月10日 - レイモン・ルフェーブルによるエンディングテーマ「夜間飛行 NIGHT FLIGHT」を製作。
  • 1985年1月18日 - 放送4,000回記念としてアンドレ・バウアーによる「夢幻飛行 Midnight cruise」を製作。
  • 1990年4月 - 金曜日の特別番組『Midnight Odyssey』(スタートスクリプト:原田宗典)放送開始。
  • 1995年1月2日 - パーソナリティに小野田英一が着任。スクリプトは清水哲男に。
  • 1995年2月25日 - 城達也逝去。当日はスポンサーCMを割愛し、エンディングで訃報を伝えた。
  • 2000年4月3日 - ミレニアム・バージョン『ラヴサウンズ・オン・ジェットストリーム』スタート。パーソナリティに森田真奈美が着任。
  • 2002年10月1日 - 番組名が『ジェットストリーム』に戻る。パーソナリティに伊武雅刀が着任。スクリプトに堀内茂男が復帰。
  • 2003年4月1日 -元独立局Kiss-FM KOBEJFN加盟。加盟後最初に放送されたのが当番組。
  • 2004年11月25日 - 番組放送10,000回を達成。当日のTOKYO FM(JFN系各局)では、終日関連企画を放送。お昼の全国放送「ディア・フレンズ」では、堀内茂男がゲストに登場。午後の10時からは記念特番を全国放送し、午前0時からは伊武雅刀と溝口肇による生放送を実施した。
  • 2006年3月21日 - 『FM Festival 05/06 Vodafone LOCK ON ROCK Special Program Final Act〜音楽でつながる、夢の“鼓動”』の3時間特番のため休止。
  • 2006年6月12日 - 2006 FIFA ワールドカップドイツ大会日本×オーストラリア戦)の中継のため休止。
  • 2006年11月6日 - 11月3日に逝去したポール・モーリアの追悼特番を放送した。
  • 2007年1月25日 - テレビ朝日系『報道ステーション』にて特集「シリーズ 団塊の世代に贈る(5)『ジェットストリーム』と深夜放送の時代」が放送される。
  • 2007年7月3日 - 放送開始40周年を迎える。前時間番組『SCHOOL OF LOCK!』を短縮、前日午後11時から特別番組「JET STREAM 40th Anniversary Around the oneworld」を全国放送。オープニングは城のナレーションの録音が使用された。午前0時の時報直後は『ムーン・リバー』が流れる。
  • 2007年11月5日 - 11月10日 - 同局別番組とのコラボレーション企画「『JET STREAM』×『サントリーサタデー・ウエイティング・バーAVANTI』」を放送。
  • 2007年11月26日 - 放送開始40周年記念として、チャリティー・コンサートツアー『国境なき合唱団』をウィーンにて開催。以後、年1回のペースで開催される(後述)。
  • 2008年6月27日 - レイモン・ルフェーブルが逝去。この日の番組ではルフェーブルの訃報には触れなかったが、最初の3曲にルフェーブルの楽団の曲を流した。また訃報については、7月17日、18日の「サウンド・グラフィティ」のコーナーで触れる。かつては10周年記念コンサートも行われたほど、番組とルフェーブルのつながりは深い。この日の同コーナーでは、1980年3月10日に当時の郵便貯金ホールで行われた「レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ・オン・ジェットストリーム」の演奏の模様を一部放送した。
  • 2009年4月 - パーソナリティーに大沢たかおが着任。
  • 2010年5月5日 - 『TOKYO FM40周年×ショパン生誕200年記念企画 Panasonic presents 横山幸雄 Chopin Project〜世界中に音楽を贈ろう!〜』(ショパンの作品全166曲を24時間以内に演奏し切る)の特番のため、通常0:00放送から1時間繰り下げの1:00から放送した。
  • 2010年6月15日 - 2010 FIFA ワールドカップ南アフリカ大会日本×カメルーン戦)の中継のため、通常の0:00から2時間繰り下げの2:00から放送した(※ただし、サッカー中継の無い局に関しては通常通り0:00から放送した)。
  • 2010年6月30日 - 2010 FIFA ワールドカップ南アフリカ大会(パラグアイ×日本戦)の中継のため、上記と同様に2:00開始への変更、さらに試合が延長し予定より1時間繰り下げ3:00から放送した(※ただし、サッカー中継の無い局に関しては通常通り0:00から放送した)。
  • 2011年3月11日 - 3月18日 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)発生に伴い、報道特別番組TIME LINE」に差し替えのため休止。3月21日深夜の放送再開時は、大沢たかおが生放送で被災者へのエールを送りつつ、番組を進行した。

ネット局[編集]

パロディ番組[編集]

人気番組であるだけに、この番組を題材にしたオマージュパロディも多い。以下はその一例である。 タイトルの「JET STREAM」をもじった番組や番組内コーナー。番組構成等に全く類似性がないものもある。

その他[編集]

  • 小野田英一時代までは、日本航空の機内音楽プログラムとして、FMでの番組と同じフォーマットで制作されたジェット・ストリームが月替わりで流されていた。また、城達也時代に放送された番組が、当時のCMをつけたまま、機内でリバイバルされたことがある。
  • 「JET STREAM」の関連番組として、2005年10月 - 2006年4月まで、この番組が始まる直前の23:57に伊武がパーソナリティを担当する『BOSE WAVE MUSIC』(スポンサー:BOSE)が放送されていた(ただしTOKYO FMのみの放送)。

国境なき合唱団[編集]

2007年より、「 JET STREAM PRESENTS 国境なき合唱団 チャリティコンサート」が開催されている。これは、当番組の放送開始40周年を記念として、JALブランドコミュニケーション(JALグループ会社)によって企画されたコンサートツアーである。様々な国を訪れ、『第九』を中心とした合唱のコンサートを行う。TOKYO FMが主催し、第2回より日本航空も協賛に加わっている。

参加者を一般から募り、チャリティコンサートを作るアート・ボランティアの活動を通して、世界中の恵まれない子供たちをサポートするための寄付金(JFNの「アース&ヒューマンコンシャス募金」を通じ、開催国の児童福祉施設や、日本のNPO法人「国境なき子どもたち」に寄付される)を募集することを目的としている。

一般参加者は「ボランティアスタッフ」となり、合唱ボランティア、現地運営ボランティア、寄付品整理ボランティア、観客ボランティアと、様々な形でコンサートに関わることになる(これらの活動は強制ではなく、参加者各自が自発的に行うことを原則としている)。また、ツアー代金とは別に寄付金を出すことになっている。

なお、国境なき合唱団は、日本国内のコンサートへの参加など、「チャリティコンサート」以外での活動も行っている。

開催場所[編集]

  • 第1回(2007年11月26日、ウィーン) - ウィーン楽友協会 大ホール「黄金の間」
  • 第2回(2008年11月25日、シンガポール) - エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ コンサートホール
  • 第3回(2009年10月22日、ベルリン) - コンツェルトハウス(旧・シャウシュピールハウス)
  • 第4回(2011年6月9日、プラハ) - プラハ市民会館 スメタナホール

外部リンク[編集]