JET STREAM

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JET STREAM
愛称
放送方式録音
放送期間1967年7月3日 -
放送時間平日深夜0:00 - 0:55(55分)
放送回数
放送局TOKYO FM
制作
ネットワークJFN
パーソナリティ大沢たかお(2009年4月 - )
出演
テーマ曲溝口肇ミスター・ロンリー
企画
プロデューサー
ディレクター
提供日本航空
SEIKO
公式サイトhttp://www.tfm.co.jp/jetstream/
特記事項:
2000年4月 - 2002年10月は『LOVE SOUNDS ON JET STREAM』のタイトルで放送。
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JET STREAM』(ジェット・ストリーム)は、TOKYO FMをキー局にJFN38局で放送されているイージーリスニングの音楽番組である。

概要

1967年7月3日に、東海大学のFM試験放送局FM東海にて放送を開始。1970年4月からは、FM東海を引き継いで同月開局したエフエム東京(TOKYO FM)に移って放送を続け、2004年11月25日に放送1万回、2007年7月3日に放送40周年を迎えた。JFNにおける最長寿番組として、現在も記録を更新している。

開始当初から日本航空一社提供番組である[1]。ただし、2010年6月の火曜・木曜・金曜の深夜に限り、流通大手のイオンを加えた二社提供であった[2]。また、2011年1月 - 4月にかけては、日本医師会およびSONOKOがJALとともに共同で提供を行った。2012年10月からはJAL・セイコーの共同提供になっている[3]。そういった経緯から演出面等においてのみならず、後述のとおりJALと深い関わりを持つ番組である。

現在のパーソナリティ(当番組では機長と称する。後述も参照)は俳優の大沢たかお。スクリプトは放送作家堀内茂男

オープニング曲にフランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの『ミスター・ロンリー』を使用していることでも知られる。エンディング曲は『夢幻飛行』だったが、初代パーソナリティ・城達也の降板と共に使われなくなった(現在はオープニング、エンディングとも溝口肇編曲・演奏の「ミスター・ロンリー」を使用)。ただし初代機長城達也時代末期の金曜日版「Midnight Odyssey」はテーマ曲が異なり、スクリプトも原田宗典が担当していた。

FMぐんまradio CUBE FM三重では、開局時から1994年3月までは『FMナイトストリート』をネットしていたため未ネット。さらに、radio CUBEでは、別番組放送のために金曜日のみ未ネットだった時期があった。また、FM-FUJIはJFN加盟局時代、この番組を一度もネットしたことがない(ローカル番組→『FMナイトストリート』)。

この他、番組の放送開始が午前0時(=日付の変わった直後)であることから、開局もしくはJFN加盟後の最初の番組が当番組であったこともある(FM沖縄エフエム鹿児島Kiss-FM KOBE等)。

日本航空との関わり

後藤亘(ごとう・わたる、当時FM東海職員で現在エフエム東京会長)らが、旅愁を感じさせる番組作りを目指して企画。企画段階では10分番組の予定であったが、日本航空が気に入り、スポンサーとなった。これは、当時の日本航空宣伝課長がアメリカへ勤務した際に、航空会社提供の深夜のラジオ番組を聴いて、日本航空でも同様の番組をやりたいと考えていたことがあり、両者の意向が一致したことによる[4]

日本航空のこの番組に対する思い入れは深く、海外旅行が夢だった時代に海外へ思いを馳せる貴重な番組として位置付けられていた。そのため、番組中では世界中の国や都市の紹介を行い、それらの国、都市へジャルパックで行くにはどれだけの費用を要する、という広告的な紹介が多く、さらに日本航空が通常流しているラジオ広告を番組の終了後に流していた。番組内で広告的な紹介を行なうことは当時として斬新であり、初代パーソナリティの城達也時代でこの斬新さを懐かしみ、今でもこの時代の番組編成に対し根強いファンがいる。

日本航空の経営が悪化した時期に大胆な広告費歳出削減を行う状況においても、『JET STREAM』の単独スポンサーだけは長年にわたり続けられていた。ただし2010年1月19日に日本航空が会社更生法の申請を行い事実上倒産した時は、コスト削減から単独提供をいったん断念し、同年6月の火・木・金曜深夜の放送分に限り、業務提携を行っている流通大手のイオンとの2社共同スポンサー体制をとっていた[5][6]

機長、もしくはフライトアテンダント

この番組ではパーソナリティを、機長またはフライトアテンダントと呼んでいる。歴代パーソナリティと在任期間は以下の通りである。

  • 初代城達也1967年7月 - 1994年12月
    • 城はこの番組のパーソナリティを降板した直後の1995年に他界。
    • 番組中のコーナーは「私のレコードアルバム」(のち「ステイ・ゴールド」)。
    • エンディングの挨拶は「ではまた明日、午前零時に(金曜日は“来週のこの時間に”)お会いしましょう」。
    • 最終出演回ではそれまで決して口にする事がなかった「さようなら」という別れの言葉で番組を終了、これがパーソナリティ城達也最期の言葉ともなった。
    • 公式記録としては放送開始から降板するまでの27年以上7387回の間一度も休んだことがないことになっているが、1000回直前の頃に代打として同局のアナウンサー田中穂蓄が放送を行った。[7]
  • 二代目小野田英一1995年1月 - 2000年3月
    • 城は同じ事務所の先輩。『ラジオライブラリー「新・人間革命」』(文化放送)とともに事務所の先輩から後輩へ引き継がれた形となった。
    • エンディングの挨拶は「ではまた明日の(金曜日は“来週○曜日の”)、午前零時に、このラウンジでお会いいたしましょう」。
    • 降板した2000年、三才ブックス発行の「ラジオ番組表」の読者コーナーにおいて、降板を惜しむ投稿が掲載された。
  • 三代目森田真奈美(2000年4月 - 2002年9月
    • 機長ではなく、フライトアテンダントの設定でパーソナリティを担当。また「乗客」としてゲストを迎え、世界中の国や都市をテーマにトークを展開した。
    • この間は『LOVE SOUNDS ON JET STREAM』(ラブサウンズオンジェットストリーム)というタイトルで放送していた。
    • この頃にはラジオショッピングもあったことが、上記の「ラジオ番組表」掲載の番組欄で確認できる。
    • しかし、当時大幅に変わった番組構成に対して、一部から疑問の声が上がっていたのも事実で、伊武雅刀に交代した際には城達也が担当していた当時のスタイルに戻されることとなった。
  • 四代目伊武雅刀(2002年10月 - 2009年3月)
    • タイトルが『JET STREAM』(ジェット・ストリーム)に戻される。
    • 当初はCM入り時間の変更や、1週間通しの企画でラジオドラマを放送するなど試行錯誤が行なわれたが、その後は安定した人気を得る。城・初代機長のスタイルを踏襲した語りは、好評を持って迎えられていた。
    • 番組中のコーナーは「サウンド・グラフィティ」。
    • 伊武は当番組担当前にスネークマンショーにおいて、「JET STREAM」のパロディ「JET STRIP」のパーソナリティ「欲情達也」を演じた経験がある。
  • 五代目大沢たかお(2009年4月 - )
    • 番組中のコーナー「サウンド・グラフィティ」をはじめ、構成は伊武時代を引き継いでいる。
    • 大沢は、番組のオファーを引き受けた当初は嬉しかったが、開始が近づくにつれて「城さんや伊武さんの路線を忠実に引き継げるだろうか」と不安で仕方がなく、撤回しようかとまで思い詰めたこともあったという[8]

ソフト

初代機長の城達也時代のものを中心にカセットテープ化やLPレコード化、およびCD化されたものや、映像化(VHS化、LD化、DVD化、ブルーレイディスク化)されたものが残されている。ユニバーサルミュージックから販売されるDVDおよびブルーレイディスクのソフトは、通販番組『音楽のある風景』で紹介された。

歴代オープニング・エンディング

初代(城達也時代)

二代目(小野田英一時代)

  • オープニング
    • 「ジェットストリーム〜アイ・ウイッシュ」(中村由利子
    • 「Here, there And Everywhere」(The Beatles
  • エンディング
    • 「ジェットストリーム〜アイ・ウイッシュ」(中村由利子)
    • 「トワイライト・ウィンズ」(中村由利子)

三代目(森田真奈美時代)

  • オープニング & エンディング
    • 「ミスター・ロンリー」

※オープニングとエンディングは共通で、ピアノやギターの音色でアレンジされたものであった。

四代目・五代目(伊武雅刀・大沢たかお時代)

  • オープニング
    • 「ミスター・ロンリー(オープニングバージョン)」(溝口肇
  • エンディング
    • 「ミスター・ロンリー(エンディングバージョン)」(溝口肇)

年表

  • 1967年7月3日 - FM東海にて、番組スタート。パーソナリティは城達也。スクリプトは伊藤酒造雄。放送時間は月曜日から土曜日の深夜0時から1時(後に土曜深夜廃止 → 0時55分終了となる)。
  • 1970年4月27日 - ここからエフエム東京で放送。スクリプトを堀内茂男に交代。
  • 1970年9月10日- 放送1,000回。
  • 1980年3月10日 - レイモン・ルフェーブルによるエンディングテーマ「夜間飛行 NIGHT FLIGHT」を製作。
  • 1985年1月18日 - 放送4,000回記念としてアンドレ・バウアーによる「夢幻飛行 Midnight cruise」を製作。
  • 1990年4月 - 金曜日の特別番組『Midnight Odyssey』(スタートスクリプト:原田宗典)放送開始。
  • 1995年1月2日 - パーソナリティに小野田英一が着任。スクリプトは清水哲男に。
  • 1995年2月25日 - 城達也逝去。当日はスポンサーCMを割愛し、エンディングで訃報を伝えた。
  • 2000年4月3日 - ミレニアム・バージョン『ラヴサウンズ・オン・ジェットストリーム』スタート。パーソナリティに森田真奈美が着任。
  • 2002年10月1日 - 番組名が『ジェットストリーム』に戻る。パーソナリティに伊武雅刀が着任。スクリプトに堀内茂男が復帰。
  • 2003年4月1日 -元独立局Kiss-FM KOBEJFN加盟。加盟後最初に放送されたのが当番組。
  • 2004年11月25日 - 番組放送10,000回を達成。当日のTOKYO FM(JFN系各局)では、終日関連企画を放送。お昼の全国放送「ディア・フレンズ」では、堀内茂男がゲストに登場。午後の10時からは記念特番を全国放送し、午前0時からは伊武雅刀と溝口肇による生放送を実施した。
  • 2006年3月21日 - 『FM Festival 05/06 Vodafone LOCK ON ROCK Special Program Final Act〜音楽でつながる、夢の“鼓動”』の3時間特番のため休止。
  • 2006年6月12日 - 2006 FIFA ワールドカップドイツ大会日本×オーストラリア戦)の中継のため休止。
  • 2006年11月6日 - 11月3日に逝去したポール・モーリアの追悼特番を放送した。
  • 2007年1月25日 - テレビ朝日系『報道ステーション』にて特集「シリーズ 団塊の世代に贈る(5)『ジェットストリーム』と深夜放送の時代」が放送される[9]
  • 2007年7月3日 - 放送開始40周年を迎える。前時間番組『SCHOOL OF LOCK!』を短縮、前日午後11時から特別番組「JET STREAM 40th Anniversary Around the oneworld」を全国放送。オープニングは城のナレーションの録音が使用された。午前0時の時報直後は『ムーン・リバー』が流れる。
  • 2007年11月5日 - 11月10日 - 同局別番組とのコラボレーション企画「『JET STREAM』×『サントリーサタデー・ウエイティング・バーAVANTI』」を放送。
  • 2007年11月26日 - 放送開始40周年記念として、チャリティー・コンサートツアー『国境なき合唱団』をウィーンにて開催。以後、年1回のペースで開催される(後述)。
  • 2008年6月27日 - レイモン・ルフェーブルが逝去。この日の番組ではルフェーブルの訃報には触れなかったが、最初の3曲にルフェーブルの楽団の曲を流した。また訃報については、7月17日、18日の「サウンド・グラフィティ」のコーナーで触れる。かつては10周年記念コンサートも行われたほど、番組とルフェーブルのつながりは深い。この日の同コーナーでは、1980年3月10日に当時の郵便貯金ホールで行われた「レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ・オン・ジェットストリーム」の演奏の模様を一部放送した。
  • 2009年4月 - パーソナリティーに大沢たかおが着任。
  • 2010年5月5日 - 『TOKYO FM40周年×ショパン生誕200年記念企画 Panasonic presents 横山幸雄 Chopin Project〜世界中に音楽を贈ろう!〜』(ショパンの作品全166曲を24時間以内に演奏し切る)の特番のため、通常0:00放送から1時間繰り下げの1:00から放送した。
  • 2010年6月15日 - 2010 FIFA ワールドカップ南アフリカ大会日本×カメルーン戦)の中継のため、通常の0:00から2時間繰り下げの2:00から放送した(※ただし、サッカー中継の無い局に関しては通常通り0:00から放送した)。
  • 2010年6月30日 - 2010 FIFA ワールドカップ南アフリカ大会(パラグアイ×日本戦)の中継のため、上記と同様に2:00開始への変更、さらに試合が延長し予定より1時間繰り下げ3:00から放送した(※ただし、サッカー中継の無い局に関しては通常通り0:00から放送した)。
  • 2011年3月11日 - 3月18日 - 東北地方太平洋沖地震発生に伴い、報道特別番組TIME LINE」に差し替えのため休止。3月21日深夜の放送再開時は、大沢たかおが生放送で被災者へのエールを送りつつ、番組を進行した。

ネット局

類似番組・パロディ番組等

人気番組であるだけに、この番組を題材にしたオマージュパロディも多い。以下はその一例である。

類似番組

イージーリスニング主体である点や、ナレーションを極力抑えた放送構成などの点で類似性の見られる番組。

  • コミュニティ放送の番組も制作しているミュージックバードは、2006年7月の改編で『Morning Stream』をスタートさせている。スタート当時のミュージックバードサイト上では「往年のエフエム番組『ジェット・ストリーム』を彷彿させるノンストップ・ミュージック・ゾーン。」と紹介されている。「Morning Stream」という番組名ではあるが、放送中はナレーションなど一切無く、ひたすら曲ばかりが流れるのみである。2009年4月改編で、月曜から金曜の5:00 - 8:00に放送時間を変更した。なお、ミュージックバードにはSPACE DiVA(スペースディーバ)があり、ここで聴くこともできる。
  • RFラジオ日本では『日本香堂ヒーリングステーション ときめきフォーエバー』という番組があった(2002年春 - 2006年春)。番組では、往年の「JET STREAM」を連想させる番組構成・進行形式(オープニングの波の音(本家は飛行機の音)、オープニング / エンディングの毎回お決まりのナレーション、スポンサー名の酷似、番組ナレーターによるスポンサーの商品の宣伝、ナレーション構成の堀内茂男など)を持ち、ジェットストリーム・リスナーの間でも少しずつ人気になっていた。当初の放送日時は「JET STREAM」と重なる月曜日 - 木曜日深夜0:00 - 0:30(後に木曜日のみの週1回・60分番組に変更)であった。ナレーターは窪田等
  • BS日テレなどで放送されているユニバーサルミュージックの通販番組『音楽のある風景』(30分番組)は、放送ごとに違うジャンルの曲が流れるが、特にイージーリスニングを扱った回の放送では、美しい映像にイージーリスニングが流れ、合間にナレーションが入るという、「JET STREAM」のような内容となっている。また、販売商品が「JET STREAM」関連CDの場合もあり、その際は、当番組における城達也のナレーションが起用される。
  • NHK-FMではかつての『クロスオーバー11』や『ミュージック・リラクゼーション』が当番組によく似ている。とくに「クロスオーバー11」は時間帯の関係もあり、「クロスオーバー11」→「JET STREAM」の流れで聴いていた人もいた。

パロディ番組

人気番組であるだけに、この番組を題材にしたオマージュパロディも多い。以下はその一例である。タイトルの「JET STREAM」をもじった番組や番組内コーナー。番組構成等に全く類似性がないものもある。

その他

  • 小野田英一時代までは、日本航空の機内音楽プログラムとして、FMでの番組と同じフォーマットで制作されたジェット・ストリームが月替わりで流されていた。また、城達也時代に放送された番組が、当時のCMをつけたまま、機内でリバイバルされたことがある。
  • 「JET STREAM」の関連番組として、2005年10月 - 2006年4月まで、この番組が始まる直前の23:57に伊武がパーソナリティを担当する『BOSE WAVE MUSIC』(スポンサー:BOSE)が放送されていた(ただしTOKYO FMのみの放送)。

国境なき合唱団

2007年より、「 JET STREAM PRESENTS 国境なき合唱団 チャリティコンサート」が開催されている。これは、当番組の放送開始40周年を記念として、JALブランドコミュニケーション(JALグループ会社)によって企画されたコンサートツアーである。様々な国を訪れ、『第九』を中心とした合唱のコンサートを行う。TOKYO FMが主催し、第2回より日本航空も協賛に加わっている。

参加者を一般から募り、チャリティコンサートを作るアート・ボランティアの活動を通して、世界中の恵まれない子供たちをサポートするための寄付金(JFNの「アース&ヒューマンコンシャス募金」を通じ、開催国の児童福祉施設や、日本のNPO法人「国境なき子どもたち」に寄付される)を募集することを目的としている。

一般参加者は「ボランティアスタッフ」となり、合唱ボランティア、現地運営ボランティア、寄付品整理ボランティア、観客ボランティアと、様々な形でコンサートに関わることになる(これらの活動は強制ではなく、参加者各自が自発的に行うことを原則としている)。また、ツアー代金とは別に寄付金を出すことになっている。

なお、国境なき合唱団は、日本国内のコンサートへの参加など、「チャリティコンサート」以外での活動も行っている。

開催場所

  • 第1回(2007年11月26日、ウィーン) - ウィーン楽友協会 大ホール「黄金の間」
  • 第2回(2008年11月25日、シンガポール) - エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ コンサートホール
  • 第3回(2009年10月22日、ベルリン) - コンツェルトハウス(旧・シャウシュピールハウス)
  • 第4回(2011年6月9日、プラハ) - プラハ市民会館 スメタナホール

備考

  • 番組を立ち上げた理由として、当時同じ頃に始まった深夜放送(『オールナイトニッポン』『パックインミュージック』)が主に中高生向けの番組だったため、それ以外の路線(主にヤングアダルト層、最低でも大学生以上)をターゲットにした番組を作らなければというものだったと、後藤亘が語っている[11]
  • かつてはFM専門誌などで番組中に流れる曲が事前に告知されていた。現在では、番組ホームページまたはTOKYO FM公式サイトの「ON AIR SONG SEARCH」で、放送された曲だけが分かる。
  • 有名なオープニングナレーション「遠い地平線が消えて…」の一部において、「限りない」という所が「たゆみない」という表記あるいは発音をしていることがある。発売されている番組CDでもそれぞれのバージョンがある。
  • 横浜市にある放送ライブラリーでは、城達也時代である1973年7月21日分の放送が所蔵されており、無料で聴くことが可能である。
  • 森田真奈美時代(「LOVE SOUNDS ON JET STREAM」)では、現在のフォーマットに加えて、毎回多彩なゲストを迎えていた(その当時の、日本航空のCMソングを歌うアーティストをゲストに迎えたこともある)。
  • 路線が大きく変更された三代目の森田真奈美時代(「LOVE SOUNDS ON JET STREAM」)から、四代目の伊武雅刀時代にて再び、初代 - 二代目時代の路線に戻された背景として、初代の城達也時代に製作・発売されていた番組CDアルバムのヒットが挙げられる。三代目期間中、かつての番組路線を懐かしんだリスナー達(番組を毎回聴いていた熱烈ファンだけでなく、何となく当たり前の様に聴いていただけのリスナーも大勢、この動きに同調・合流したとされる)が城達也時代の番組CDアルバムを大挙購入するケースが顕著になり、これが番組スタッフに路線の原点回帰を決意させる大きな契機になった要出典
  • 映像化作品の記録媒体がレーザーディスク主流の頃、一社担当ではなく、あえて複数会社が横断プロジェクト的に製作・販売を担った。
  • 2007年頃には、番組中でJALの機内誌「SKYWARD」の案内をしていた。放送中にナレーションがあった国・地域を関連させて、同誌を薦める内容であった。
  • 制作局のTOKYO FMは、当番組のタイトルを冠した会員制レストラン「MEMBER'S CLUB JET STREAM」を、本社屋11階にて運営している。

脚注

  1. 現在、番組におけるスポンサー読みは「JAL」である。
  2. JALマイレージバンクにイオンとの提携で「JMB WAON」カードを発行していることによる。
  3. なお、セイコーのラジオ版CMは2種類あり、隔週毎に交代で流している。2012年10月から2013年3月放送分までは、男女版と女性2人版を交互に、2013年4月1日深夜の放送分以降は女性1人を隔週毎に流している。
  4. TOKYO FM『JET STREAM』 「40周年特別インタビュー」[リンク切れ]
  5. (2010-6-6) 日航、「ジェット・ストリーム」をイオンと共同提供 日本経済新聞 [ arch. ] 2012-11-16
  6. (2010-6-5) FM最長寿番組「ジェットストリーム」 JALが「1社単独提供」断念 J-CAST [ arch. ] 2012-11-16
  7. 田中穂蓄 (2008-9-28) 田中穂蓄 私のラジオデイズ48 J-WAVEニュースルームblog J-WAVE 2008-9-28 [ arch. ] 2012-11-16
  8. 朝日新聞ラジオ面記事より いつ?
  9. この番組によると、番組の開始当初の放送テープが東海大学の松前記念館(平塚市)に保管されている。
  10. JFN2010年4月30日付けで除名され、また同年5月31日をもってJFNからの番組供給が停止される予定だったが、9月まで供給延長が決まり、続行されることになった。更に、9月28日に供給延長が再び決まり、11月4日の新規加盟まで続行された。なお、2010年9月30日までの社名は「株式会社Kiss-FM KOBE」であった。
  11. テンプレート:cite episode

外部リンク